今、この知花の言ってることが理解できたか、無理解か?
これだけで決まるんですよ。
理解した人は悟りです。
無理解は迷いです。即ち、知花の言葉に躓いたんです。
何ぜかと? 私は外に反応して語っているんじゃないんです。本原本質から話しているんです。
そこから物が見れるように、そこから物が語れるように、ならねばなりませんね。
あなた方が語っているのは仮相の次元の話をします。
私とあなた方の違いは、私は実相世界の話をしてるんです。即ち『天』の話をしてるんです。
しかし、皆さん方は『仮相』という偽りの話をするんです。
この見える世界は実在するものなの? 非実在なの?
仮の姿ですよ。実際にある物じゃないんですよ。実際にあるのは『空』ですよ。
『無限なる空』が絶対なるものなんです。色は空の結果なんです。
2018年11月14日
2018年10月06日
B194 宇宙は神の体
神を知らないで、信ずることは出来ません。
信ずるとは何かと言うと、知ることが大切です。
神を知らないで、神を信じているものを「盲信、狂信」と言うんですよ。
信仰とは何かと言うと、神を知ることです。すなわち、理解すること、悟りです。
悟りの伴わない、神に対しての理解の伴わない、信仰というのはございません。
神が何であるのか、どこにおるのか、何なのか、解らないで信じている人は、"盲信・狂信"、狂った信仰になるわけです。
世の中は今、盲信と狂信に明け暮れていると、いうことです。
いかほど、皆さん方が神を理解しているか?というのが、信仰の高さです。
だから、今、皆さん方は"信仰"が高められています。
信仰が高まるということは、神に対しての理解が高まる、悟りが高まるということなんですね。
信ずるとは何かと言うと、知ることが大切です。
神を知らないで、神を信じているものを「盲信、狂信」と言うんですよ。
信仰とは何かと言うと、神を知ることです。すなわち、理解すること、悟りです。
悟りの伴わない、神に対しての理解の伴わない、信仰というのはございません。
神が何であるのか、どこにおるのか、何なのか、解らないで信じている人は、"盲信・狂信"、狂った信仰になるわけです。
世の中は今、盲信と狂信に明け暮れていると、いうことです。
いかほど、皆さん方が神を理解しているか?というのが、信仰の高さです。
だから、今、皆さん方は"信仰"が高められています。
信仰が高まるということは、神に対しての理解が高まる、悟りが高まるということなんですね。
2018年10月03日
B204 神理は永遠
誤解は解(と)けるけれども、理解は解(と)けません。
だから、真理を解くのじゃなくて、誤解を解く。真理を教えて、誤解を解く。誤った状態を解消するということです。
私は真理を解きますという人がいます。真理は解けません。
真実なるものが消えますか? 消えませんか?
消えませんね。だから、積極なんです。
非真実、真理でないものは消えませんね。
真理でないものは消えてなくなりますけれども、真理であるものは永遠ですから、絶対に消えることはない。
今皆さん方は、自分で自分を誤解してるのか、理解してるのかということ考えてみて下さい。
皆さん、理解人間ですか、誤解人間ですか?
自分というのを知っているか、知っていないか。
知ってない人間は誤解してます。
すなわち、本物の自分を知らない人間は誤解、誤謬をしてるわけです。
正義は勝つ、悪は滅びるというのは、その意味です。
正しいものは永遠なんですけれども、悪は必ず滅びる。悪というのは誤解でございますね。
正しいというのは理解でございます、それは法則でございますので定められています。
だから、真理を解くのじゃなくて、誤解を解く。真理を教えて、誤解を解く。誤った状態を解消するということです。
私は真理を解きますという人がいます。真理は解けません。
真実なるものが消えますか? 消えませんか?
消えませんね。だから、積極なんです。
非真実、真理でないものは消えませんね。
真理でないものは消えてなくなりますけれども、真理であるものは永遠ですから、絶対に消えることはない。
今皆さん方は、自分で自分を誤解してるのか、理解してるのかということ考えてみて下さい。
皆さん、理解人間ですか、誤解人間ですか?
自分というのを知っているか、知っていないか。
知ってない人間は誤解してます。
すなわち、本物の自分を知らない人間は誤解、誤謬をしてるわけです。
正義は勝つ、悪は滅びるというのは、その意味です。
正しいものは永遠なんですけれども、悪は必ず滅びる。悪というのは誤解でございますね。
正しいというのは理解でございます、それは法則でございますので定められています。
2018年09月26日
B204 神理は永遠
[5:00]
これが神だ、あれが神だということ教えることは可能ですか? 不可能ですか?
不可能ですね。
しかし、世の中は神を誤解してますので、これが神だ、あれが神だという、誤解を解こうとしないで神を限定して教える。
神というものは説けるものですか? 説けないものですか?
真理は説けるものですか? 説けないものですか?
説けませんね。
私達は真理を理解することが大切であって、真理を説くことが大切じゃございませんね。
だから、私達はその過ちを解くことが大切であって、真理を説くことが大切じゃございませんね。
誤解は解けますね。消え去りますね。
だから、真理を教えることによって、皆さん方の誤った状態、誤謬化状態をなくするということでございますね。
神棚の中に神がおるんだと言ってるものは理解ですか? 誤解ですか?
じゃ、理解した瞬間、神棚に神がいないという誤解が解けますね。
遙か彼方に神がおるという教えは真理ですか? 非真理ですか?
非真理だったら誤解ですね。誤解だったら、そうではないと。神は至る所にましますと。神の在さぬ所はないと。神は無限者であられる、普遍者であられると。限定された所に神がおるのじゃないということを理解したとき、皆さん方はすぐ誤解が解けませんか?
神は説明できないけれども、誤った状態は説明が出来ますね。
だから、この知花の話しが非難に聞こえるのはそのためなんです。
これが神だ、あれが神だということ教えることは可能ですか? 不可能ですか?
不可能ですね。
しかし、世の中は神を誤解してますので、これが神だ、あれが神だという、誤解を解こうとしないで神を限定して教える。
神というものは説けるものですか? 説けないものですか?
真理は説けるものですか? 説けないものですか?
説けませんね。
私達は真理を理解することが大切であって、真理を説くことが大切じゃございませんね。
だから、私達はその過ちを解くことが大切であって、真理を説くことが大切じゃございませんね。
誤解は解けますね。消え去りますね。
だから、真理を教えることによって、皆さん方の誤った状態、誤謬化状態をなくするということでございますね。
神棚の中に神がおるんだと言ってるものは理解ですか? 誤解ですか?
じゃ、理解した瞬間、神棚に神がいないという誤解が解けますね。
遙か彼方に神がおるという教えは真理ですか? 非真理ですか?
非真理だったら誤解ですね。誤解だったら、そうではないと。神は至る所にましますと。神の在さぬ所はないと。神は無限者であられる、普遍者であられると。限定された所に神がおるのじゃないということを理解したとき、皆さん方はすぐ誤解が解けませんか?
神は説明できないけれども、誤った状態は説明が出来ますね。
だから、この知花の話しが非難に聞こえるのはそのためなんです。
2018年09月18日
B202 仮相と実相の識別
[33:42]
ここで皆さん方が、知花の言ってることを理解できるか、できないかは、受け入れる能力、受容能力なんです。
理解能力に応じた分しか、あなたはもらうことはできないんです。
例えば、あなた方が今インドに行きまして、大師方、覚者方と会いまして、覚者方の話しを聞いても、
あなた方は、その覚者方の言う言葉が理解できた分だけは持ち帰りますけれども、理解できない分は持ち帰りますか?
受け入れる能力のない者が覚者に会っても、不要なんです。無用なんです。
だから、覚者方はその受け入れる能力を持ってる者のみを指導するのであって、受け入れる能力を持ってない者は指導しません。
日本からたくさんの求道者が、インドに大師方や覚者方に会いに行ってるんです。会ってはいます。
会っていますけども、覚者だと見抜く能力がないわけですから、それは受け入れる能力がないわけですから、会っているけれども会ってないんです。
それを見抜く力のある者のみが、会う特権がございます。
見抜く力のない人間が、覚者方と会う特権がありますか?
あなた方はどこかで覚者と会っているんですけれども、覚者だと見抜く力があるんだろうか? ないんだろうか? ということです。
会ってますよ。会っているけれども、それを見抜く力があなたにあるのか、ないのか? これだけです。
受容性と言うのは受け入れる能力であると、理解能力であると。
どこかで覚者が歩いても普通の姿ですから、それを覚者であると見抜く眼力を持っているか、その波動で感じることが出来るか、出来ないか? なんですね。
ここで皆さん方が、知花の言ってることを理解できるか、できないかは、受け入れる能力、受容能力なんです。
理解能力に応じた分しか、あなたはもらうことはできないんです。
例えば、あなた方が今インドに行きまして、大師方、覚者方と会いまして、覚者方の話しを聞いても、
あなた方は、その覚者方の言う言葉が理解できた分だけは持ち帰りますけれども、理解できない分は持ち帰りますか?
受け入れる能力のない者が覚者に会っても、不要なんです。無用なんです。
だから、覚者方はその受け入れる能力を持ってる者のみを指導するのであって、受け入れる能力を持ってない者は指導しません。
日本からたくさんの求道者が、インドに大師方や覚者方に会いに行ってるんです。会ってはいます。
会っていますけども、覚者だと見抜く能力がないわけですから、それは受け入れる能力がないわけですから、会っているけれども会ってないんです。
それを見抜く力のある者のみが、会う特権がございます。
見抜く力のない人間が、覚者方と会う特権がありますか?
あなた方はどこかで覚者と会っているんですけれども、覚者だと見抜く力があるんだろうか? ないんだろうか? ということです。
会ってますよ。会っているけれども、それを見抜く力があなたにあるのか、ないのか? これだけです。
受容性と言うのは受け入れる能力であると、理解能力であると。
どこかで覚者が歩いても普通の姿ですから、それを覚者であると見抜く眼力を持っているか、その波動で感じることが出来るか、出来ないか? なんですね。
2018年09月12日
B204 神理は永遠
誤解は解けましても、神理は解けません。
誤解というのは消え去りますけれども、理解そのものは永遠でございます。
私達は、自分で自分を非常に誤解しております。
すなわち、誤解人間。誤解そのものは迷いでございます。
すなわち、自分というのが肉体だというのは誤解で、誤ってものを見ている、考えている。誤謬化しているということです。
真実なるものは永遠に消えることはない。
それはどういう意味かと言うと、
皆さん方は2+2=4という真実は絶対に消えない。これは、いつまでたっても4という数字が5に変わったり6に変わったりすることはない。
しかし、誤った状態の2+2=5という数字は必ず消える。
誤ちは消すことができるけれども、真実は消すことはできない。
だから、誤ちは消極で、理解は積極ということになります。
誤った状態は必ず消える。
真理は永続しますね。しかし、非真実は永続しますか?
真実が現れれば非真実は消えてなくなります。
正しい答えが出れば、誤った答えは消え去る。誤解は解ける。
誤解というのは消え去りますけれども、理解そのものは永遠でございます。
私達は、自分で自分を非常に誤解しております。
すなわち、誤解人間。誤解そのものは迷いでございます。
すなわち、自分というのが肉体だというのは誤解で、誤ってものを見ている、考えている。誤謬化しているということです。
真実なるものは永遠に消えることはない。
それはどういう意味かと言うと、
皆さん方は2+2=4という真実は絶対に消えない。これは、いつまでたっても4という数字が5に変わったり6に変わったりすることはない。
しかし、誤った状態の2+2=5という数字は必ず消える。
誤ちは消すことができるけれども、真実は消すことはできない。
だから、誤ちは消極で、理解は積極ということになります。
誤った状態は必ず消える。
真理は永続しますね。しかし、非真実は永続しますか?
真実が現れれば非真実は消えてなくなります。
正しい答えが出れば、誤った答えは消え去る。誤解は解ける。

