2,000年前のイエスの時代も何名かしか、そこに至らなかったんです。
たくさんの人に教えは説いたけれども、実際に入ったのは僅かの数名しか天には帰らなかったんです。
しかし、今は熟成してますので、数名では困る。多くの人々が天に帰ってもらいたい。
真実に帰ってもらいたい。
この非真実という人間を克服して、真実という生命にお帰りになって頂きたい。
本来の吾に帰りましょう。
人間が偽我であることを知らねばならない。
この五感という感化に1日も早く打ち勝たねばならない。
吾は五感という感化に属するものではない、直感という生命に属するものだということをご理解頂きたい。
早く皆さん方も、「人間でもない、肉体でもない、個人でもない。宇宙生命、即ち空」だという空の境地にまで、皆さん自身の意識を高めて頂きたいと思います。
2018年02月15日
2017年10月06日
神我は神 自我は人間 A182
2017年09月14日
天命とは何か B177
唯一自分を苦しめるのは自分自身しかいないのです。汝の敵は汝自身なり。
あなた自身の間違った言葉づかい、間違った想念、間違った行為が汝自身の敵なんです。
誰がも、あなたを苦しめることは出来ません。
あれがあんなことをしたから、私はこうなったんだと。すぐ人のせいにしたがります。
あなた自身の間違った言葉づかい、間違った想念、間違った行為が汝自身の敵なんです。
誰がも、あなたを苦しめることは出来ません。
あれがあんなことをしたから、私はこうなったんだと。すぐ人のせいにしたがります。
2017年09月04日
神とは何か B175
本当は金の余裕のある人ならば、一時的に外部の仕事から離れて解放されて、本当に1年でもみっちりそこに一心を集中するならば、その者は大悟致しますよ。
我々が、まだまだこの世の物を優先とするがゆえに、私達はまだまだ中途半端な状態で世を去らねばならない人もおるわけです。
だからそのことを、おしゃか様は出家ということをお選びになったのですね。
外部の物から俗世の物から解放して、そこで何年間か修行させる場所を選ばれた。
しかし、今の人間がみんな仕事を辞めて、そんなことをやったら大変なことになりますから、そうはいきませんので、できるだけ皆さんの仕事の合間をみて、今までの色々の肉の快楽に使っていた時間を、そこへ神への憶念に費やす。ちょっとした休み時間でも、寝る前でも、朝起きても。
我々が、まだまだこの世の物を優先とするがゆえに、私達はまだまだ中途半端な状態で世を去らねばならない人もおるわけです。
だからそのことを、おしゃか様は出家ということをお選びになったのですね。
外部の物から俗世の物から解放して、そこで何年間か修行させる場所を選ばれた。
しかし、今の人間がみんな仕事を辞めて、そんなことをやったら大変なことになりますから、そうはいきませんので、できるだけ皆さんの仕事の合間をみて、今までの色々の肉の快楽に使っていた時間を、そこへ神への憶念に費やす。ちょっとした休み時間でも、寝る前でも、朝起きても。
2017年08月26日
平安と不安 B176
偽物の世界から本物を探し歩いても、見いだせない。
今,皆さん方は、偽物の世界から本物を見出そうとしてるんです。これはもう、無理からぬことですね。
これを、『灯台元暗し』と言うんじゃないだろうか。
偽物の結果の世界から、原因をいくら見出そうとしても、見いだせない。
だから皆さん方は、外なるものと内なるものの、はっきりした識別心。
今,皆さん方は、偽物の世界から本物を見出そうとしてるんです。これはもう、無理からぬことですね。
これを、『灯台元暗し』と言うんじゃないだろうか。
偽物の結果の世界から、原因をいくら見出そうとしても、見いだせない。
だから皆さん方は、外なるものと内なるものの、はっきりした識別心。
2017年08月19日
祈りとは何にか B173
神を呼ぶ前に、不調和を起こしているものと和解してから、祈りなさい。
祭壇の前に捧げものをささげる前に、全てのものと和解してから捧げものをささげなさいという言葉があります。
それは、どういう意味かと言いますと、真我でございます。
真我には不調和はございません。争いはございません。
皆さん方は、争いの中において祈っているなら偽物です。
次元の低いところで、分離感で、神がどこかに存在するという神との分離感で祈りますので、その祈りはそう効果のあるものではない。
イエス様の祈りは即実現した、目の前ですぐ実現するというのはどうしてだろう。
祈られている方と祈っている方が一体であるからです。
すなわち神との一体感です。真我より祈るというのは神との一体感です。
祭壇の前に捧げものをささげる前に、全てのものと和解してから捧げものをささげなさいという言葉があります。
それは、どういう意味かと言いますと、真我でございます。
真我には不調和はございません。争いはございません。
皆さん方は、争いの中において祈っているなら偽物です。
次元の低いところで、分離感で、神がどこかに存在するという神との分離感で祈りますので、その祈りはそう効果のあるものではない。
イエス様の祈りは即実現した、目の前ですぐ実現するというのはどうしてだろう。
祈られている方と祈っている方が一体であるからです。
すなわち神との一体感です。真我より祈るというのは神との一体感です。

