もう本当に、あまりにも話を聞くのに慣れっこになってしまってると、思ったりもするんですけれども、
もう慣れっこであるならばお休みにしましょうか、お話しは?
お休みにした方がいい? 続けた方がいい?
あまりにも毎日同じお話しを聞きすぎてるんじゃないかなと思うんですよ。もう何年間かお休みにしますか。やってみると、どうだと思います? 無限という意識に目覚めそうですか、それとも落ち込んでいきそうですか?
もうやめた方がいいかもしれない。
その時、イエスキリストも同じことを言った。「私がいない方がいいかもしれない」と言ったことがあります。
私もそう言いたいんですよ。いない方がいいなら、いない状態にもすぐにも出来るわけです。
皆さんも、自分が無限になれないのに飽き飽きしてるんじゃないですか? 私も無限に帰らないのに飽き飽きしてるんです、はっきり言って。
本当に毎日朝晩話す必要があるのか、あるいは一か月に一回、二ヶ月に一回、刺激することでいいのか…皆さんはどう思います。
毎日刺激されてでさえも、こんなに難しいわけですから。そのままほっといたんじゃ、また個人として仮相としてそのまま溺れていくんじゃないですか。
できそう? 自分でやるという人なら来なくて結構ですよ。
ここから離れていった連中で、無限という天に帰れそうな人が一人もいますか? みんな落伍していったんじゃないですか。だから、招かれしものは多いけれど、選ばれし者は少ないんじゃないですか。
たくさん招かれて聞きましたよ、お話しを。それは,岩の上にまかれた種というのは、頭に種をまいて帰っただけではありませんか。一時的に感動、感銘してわーっと騒いで、わーっと消えたんじゃないですか。もう来なくなってますよ。
分かったような錯覚を起こして、感情的にわーっとやる人は、全部ここから離れていったんじゃないですか。分かっているのか分からないような人だけ残ってますよ。それは頭の中で考えたんじゃなくて、心の中で考えたからですよ。深いところで物事を考えてる。
頭で考えてる人は、みんな感情的じゃありませんか。「先生、あなたから一生離れません」、すぐ離れますよ。この人着いてくるのかな?という人がちょこちょこ顔を出したり着いてきてる者だけが残ってる。
分かってるようで分からん様な人だけが残ってる、これが本来の姿です。
大切なことは知識ではなくて、あなたが無限そのものであることが大切ではないですか?
無限を,実感することだけが大切ではないですか。
それ以上のことは、ないんでしょ。
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