こう言いましたね、イエスキリストは。霊と水によって生まれたということを知ってる者のみが、神の国に入るのであると。
その霊と水と言うのは、不可視の質料のことを言ってますね。不可視の質料でできていると知っている、悟ってる者のみが神の国に入る。
で、固体観念を持ったままこの世を去りますので、幽体というまた相対的な形としての物体としての、個人という意識がある限り個人としてのものを持ってるんですよ。
普遍意識になって初めて私達は解放なんです。個人意識がある限り、普遍にはなれない。普遍になったら個人的というのは存在できない。
ただ要は個人だと思うか、普遍だと思うかだけの違いなんですよ。
個人だと思えば個人が存在するし、普遍だと思えば普遍しか存在しないんです。
だから、あなた方は思っている通りのもので、それ以上でも以下でもないんだと…
普遍だと思えば普遍世界に存在するし、個人だと思えば個人世界に存在すると、意識は創造の力ですから。
その為には、無限質料が私を創り無限の質料が私の中に存在してる、私は無限の中に存在し無限は私の中に存在すると、その無限との一体感でもってなさねばなりませんね。
そこにはもう個人という肉体形体は存在できません。その時もう、皆さんの肉体は視界から消えています。
完全なる普遍意識になったら、その時、肉体消滅が行われています。
肉体を感じなくなって、本当に普遍質料そのものになりますと、普通の肉眼では見えないんです。
それを視界から消えるという意味なんです。今度は個人だと肉体だという意識を起こしますと、普遍的質料がまた肉体という固体を創るわけですよ。それは肉体出現ですよ。
32;30 消したり現わしたり、それを鍛錬せねばなりませんね。
肉体を消してみたり現してみたり、それが可能だということですよ。そういう意識を使える、想念ですよね。それでもって生動するんですよ。
だから意識は創造の原理であると。創造の場と創造の力は誰が持ってます?
聖者方というのは創造原理である意識をうまくコントロールして使っているだけなんです。聖者方の持ってる意識と皆さんの持ってる意識は同じ意識、同じ原理だと思います。
そうなると我々一般人には不可能なんでしょうか、神様は特別の人間をお創りになってます? この原理をよく理解して、使うかだけの違いですね。
もう一つ申し上げますと、神には不完全意識というのが無いんですよ。完全意識を持つが故に完全のみを創造するんですよ。
あなた方はこの世を不完全にしてるのは、不完全の意識を持つが故に不完全の現出があるんですよ。
神にはマイナス思考はありません。全て前向き姿勢で、プラス思考です。
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