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それは、何回もの,何回もの,繰り返しでもってしか得ることは出来ない。
何ぜかと言うと、皆さんには長い長い間の、気の遠くなるような、『人間』という先入観があります。
その先入観を、今日という今日,今捨てなさいと言っても、捨てきれますか? 捨てきれる?
この世の中に、急に『私は人間ではない、大愛だ』と捨てきれる人なんていない。だから、真理とは何回もの何回もの、繰り返しによって得るものである。忍耐が必要ですね。
じゃあ、あなたは大愛だと思えるようになるまでは、『忍耐』は不可欠ではないですか。
今日ここで話しを聞いて、今日から人間やめて、大愛そのものになれる人なんているんですか?
「あぁ、今日悟りました。」…嘘です。(笑)
悟りとは、ある日忽然とやってくるものではないということです。
だから、悟りとは一皮一皮であると。
常に、あなたが大愛に一心を集注することによって得るものであって、ある日忽然として人間を忘れて,大愛そのものになった者は、いまだかって一人もいない。
だから、焦ってはならない。忍耐強く、愛を求め続けることではないでしょうか。
大愛への一心集注は、不可欠ではないでしょうか。
それは、努力が必要ではないでしょうか。
あなたが、もう無意識のうちにも大愛だと思ったら、努力は不要です。そう思えるようになるまでは、忍耐強く,その大愛を凝視し続けなければならない。
だから、一週間に1回や2回の瞑想会に参加したからといって、大愛を得ることは不可能であると。それは、時間あるごとにではないでしょうか。
一週間に1回の瞑想会に行って、大愛をつかむことが出来ますか? 出来ませんね。人間という迷妄を打ち消すことは、不可能ではないですか。
一週間に1回、1時間大愛を見つめたところで、後は人間という仮相を見て生きているならば、どっちが長いの?
人間を見ている時間が長いならば、それは絶対に勝てないんじゃないでしょうか。
勝てると言うことは、人間を見ている時間よりも、大愛を見ている時間が長くならなければならない。即ち、長いものには巻かれるんです。

