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この見えるものを本物だと、また信じてるなら、皆さんは妄信家です、狂信家です。
意味が解るかな? それが解れば、もうこの世の物の支配を受けなくなりますよ。どんな事態が起こっていようが。
この影響を受けて苦しんでいるのは、あなたがまだ、この見える世界を本物だと、実在だと見るがゆえに苦しみを作るわけです。
解脱している人であるならば、この世のものに振り回されることがありますか?
悟った人が、この3次元というドラマの現象で、心を痛めたり、苦しんだりすると思いますか。
ないですよね。
それがなくなって、初めて平安なんです。
我々が、まだ原因をつかんでいなくて、結果を信じて、結果に生きている間は、不安と恐怖です。
常に不安が付きまとっている。だから、自我意識が安らぐということは無いですね。
この世の中は不安の次元ですから、不安の世界から安らぎを見出すことは出来ないんです。
内側は平安ですから、内側に生きた者のみが平安なんですね。
神我は平安そのものです。自我は不安そのものですから、自我でいくら不安をなくそう、なくそうとしても、なくならないんです。
どんなに地位や名や財を持っても、いつも不安と恐怖に怯えているんです。何ぜかと言うと、現象である偽物を本物だと、現象を見てそこから色々なものを拾い上げるからですね。
皆さんの安らぐ日というのは、この世が、現象界が偽物だと、ドラマだということがはっきり解って、見えるものの結果に振り回されない自分というものが確立された時のみなんです。
だから、常に内を見て、内を意識して、内側から物を見て、内側から物を判断するというような、憶念ですね。
皆さんは、外念して、外観で生きているわけです。
2021年03月20日
2018年07月03日
B88 完全意識とは何か
寝ても覚めても、喜び、安らぎと平安の中に生きている人は、罪を犯してない人なんです。
あなたの"心"に安らぎがある時は、あなたは神の中におる時にのみ安らぎはあります。
悪い思いや、悪い言葉をしてるとき、心が安らいでいる人は一人もおりません。
寝ても覚めても、神を思いなさいというのは、その意味なんですね。
あなたが寝ても覚めても、心が平安であり安らぎであるならば、あなたは常にいい思いと、いい言葉の中に生きているということです。
常に不安である人は、常に悪い思いの中に_憎しみや怒りや嫉妬の中に生きてる者は、心がいつも不安です。恐怖です。
私は常に神に使っていただく、そして神と私は一体なんだから、
この肉体は神によって造られたものなんだから、神を通して語らしめよ、と言うようになって、初めて私は寝ても覚めても、嬉しい、楽しいというような平安の中に生きることが出来たんですね。
不安であるということは、"必ず"誰かを傷つけているということです。誰かを憎んでいるということです。誰かを謗っているということです。
そんなものがなければ、不安であるはずがありません。
あなたの"心"に安らぎがある時は、あなたは神の中におる時にのみ安らぎはあります。
悪い思いや、悪い言葉をしてるとき、心が安らいでいる人は一人もおりません。
寝ても覚めても、神を思いなさいというのは、その意味なんですね。
あなたが寝ても覚めても、心が平安であり安らぎであるならば、あなたは常にいい思いと、いい言葉の中に生きているということです。
常に不安である人は、常に悪い思いの中に_憎しみや怒りや嫉妬の中に生きてる者は、心がいつも不安です。恐怖です。
私は常に神に使っていただく、そして神と私は一体なんだから、
この肉体は神によって造られたものなんだから、神を通して語らしめよ、と言うようになって、初めて私は寝ても覚めても、嬉しい、楽しいというような平安の中に生きることが出来たんですね。
不安であるということは、"必ず"誰かを傷つけているということです。誰かを憎んでいるということです。誰かを謗っているということです。
そんなものがなければ、不安であるはずがありません。

