2021年07月16日

A282 大愛は全ての本質 何ぜ(誘導瞑想)

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皆さん方は、私が大気だと言ったり、大愛だと言ったり、大生命だと言って、こんがらがってるけれども、これ頭で考えるからですよ。
心で考えれば、そんなことは単純明瞭ではありませんか。
じゃ、頭でそれが理解できますか?

だから、頭ではわかって、実感が無い。
直知と言って、直接知らねばなりません。直接知るためには、頭では考えてはならない。
頭で考えることは、せいぜい外念ではありませんか。
これを浅い信仰。浅い信仰とは、浅い理解力ということです。
深い信仰と言うのは、深く知ることです。それは、心でしか出来ないではありませんか。
頭で何か、真理を理解出来るんですか? 頭で理解出来るのは、せいぜい仮相のみです。

形のことは非実在ですから、形のことを何を知っていても、何も知ったことにはならない。
あなたが何を知っていても、そう重要ではない。

20:45
だから、皆さん頭で考えるから何も解らないんじゃないですか。頭のいい人というのは、頭の悪い人ではないですか? 逆を言えば。
いっぱい頭で考えていることを、正思念と言うの、雑念と言うの?
考えることを、やめねばなりませんよ。あなたは頭で考えれば考えるほど、混乱するんじゃないですか。
何ぜ? 理解が出来るから、出来ないから? 苦しむだけですよ。
あなたは頭でこれは何だろう、あれは何だろうと、頭をひねって考えたって、考えられるものではないんですよ。
・・
これを知識人間のことを、頭でっかちと言うんですけれども、空っぽですよ。何もありませんよ。あなたが、この世の何を知っていても、そう重要ではないんです。

今日限り、頭を空っぽにせねばなりませんよ。
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2021年06月22日

A282 大愛は全ての本質 何ぜ

01:25
物は全て、霊と水のバランスで存在しています。
この水と言うのはやっかいなことに、水には見える水と、見えない水があることをご存知ですね。
気体も液体も固体も、水ですよ。それがなければ、人間という形体は存在することは出来ない。
この霊と水のことを『大愛』と呼んでいます。

その愛は肉眼で見えますか? 心では見ることは出来ます。肉の目で見ることは出来ない。肉の目で見ることが出来るのは、せいぜい形ではありませんか。
だから、心を開いて物を見なくちゃなりませんよ。
正しく見るとは、心で物を見なくちゃなりませんよ。
あなた方は、この肉眼に頼って物を見ているんですね。

物を聞くときにも、肉の耳で物を聞いてはならない。この肉の耳で聞くものは、外なる雑音しか聞こえませんよ。そんなものからは、何も得るものはないんですよ。
心の耳、霊耳と言って、心で物を聞かねばなりません。

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じゃ、考えることは頭で考えるべきですか、心で考えるべきですか? 一番重要なポイントですよ!
あなた方は何でもここで話を、肉の耳で聞いて、肉の頭で考えようとする。絶対にこの真理という愛は理解することは出来ない。

じゃあ、どうすれば心の目で物を見れるように出来るかと、肉眼をまず閉ざすことです。肉眼を閉ざして、心でものを見るように努力せねば…
これを黙想と言いますけども、肉眼の目をぎょろぎょろ形という仮相を見て、内なるものを見ることが出来るんですか?
あなたは瞑想してる時、形の世界をぎょろぎょろ眺めているの? 閉ざしてるの?目は。

瞑想とは、形・仮相を見ている肉の目を閉ざし、心の目を開くように努力せねばならないでしょ。
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2021年06月14日

A282 大愛は全ての本質 何ぜ(誘導瞑想)

今日限り、頭を空っぽにせねばなりませんよ。
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色々と考えすぎると頭が重たくなりませんか? 頭で考えることをやめたら、頭が軽くなってしようが無いですよ。
この知花は頭があるのか、ないのか分からないぐらい、軽いんですよ。
皆さんは考えすぎたとき、頭痛とか、頭が痛いとか重たくなると、こうやってるんじゃないですか。
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やってるでしょ。馬鹿馬鹿しい。あなたは頭で考えるんじゃなくて、心で考えるべきではありませんか。

だから、いくらこの知花の話を何十万回、頭で聞いても解るはずがない。後は嫌になって、苦しくなったら、知花が憎くなりますよ。
知花の言うことが解る間は、知花が好きです。しかし、知花の言うことが理解できなくなったら、憎しみに変わりませんか?
「あの知花の野郎、何を言ってやがる」と言うはずですよ。
理解が出来るときは楽しいですよ。出来なくなると、フン! フン!としか言いませんよ。もう後、ヒン!が始まったら、フン!しか考えないから、最後までフン!で終わりますよ。

一つの物に引っかかると、講話中その一つの物の答えを頭で見いだそうと、ごっちゃり,ごっちゃり、やってるんじゃないですか。体験あります?
何を言ってるんだろう、この何意味なんだろう。頭でゴロゴロ回してごらん。考えられる?
答えは、頭の世界で出すことは出来ないんですよ。心の世界から出ねばなりません。心は霊ですから、神の次元ですよ。

だから皆さん方、右脳だ、左脳だ、そんなものからは何も得るものは、本来は…?
右脳だ、左脳だと言うのは、せいぜい外念のことではないですか。心に、右心,左心ってあるんですか? たった一つの神の心でしょ。
その心と言うのは、意識のことですよ。
意識と言うのは、形の意識なんてあるんですか、本質の意識ですか?
形に意識を与えているのは、本質ではありませんか。じゃ、生きているのは人間という形が生きているのか、本質のみが生きているのか・・・
じゃ、愛の他に生きているものがあるんですか?
愛がなければ、あなたは生きることも。存在さえも出来ないんでしょ。
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2021年02月10日

B266 解脱とは何か

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我々の肉の目は何を見ますか? 結果しか見えませんね。
原因は、心の目でしか見えないんです。心眼が開かれてなければならない。

結果を見るために、この肉の目はあるんです。心は原因も結果も見えます。
私達は、心の目でものを見るように鍛錬・訓練せねばならない。

だから、皆さん瞑想中に軽くこの結果の目を閉ざして、心の目でものを見るように努力しているわけです。
これが瞑想なんですね。

原因を見ようとするときに、結果の目で原因を見ようとキョロキョロしますでしょうか。しませんよね。
なんとなく、瞑想というものは結果を見ている目、瞼を閉じますね。そして、心でものをみようとする。

そして、心が完全にものが見れるようになりましたら、皆さん心眼が開かれているということ。
原因は心でしか見えないんです。何ぜかと言うと、心が原因であるからです。

だから、皆さん方も自分の見ているものは全て結果、肉の目で見ているものは全て結果だということが解って、その結果に振り回されない強い自分というものを見出さねばなりませんね。
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2020年12月13日

A267 賢者と偶者

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賢者方は決してこの世の現象世界の影響を受けてない。これが、この世の手の届かない彼方にとどめ置かれたもの、ということになります。
まだまだ我々は、色々の目に見える世界の影響を受けてますね。何ぜでしょう? この世は本物だと、心の片隅にあるからだと。信じている、妄信しているからだと。
現象だけを追い求めている人もいますね。これを、物質主義者と言いますね。
イエス様は、この世のものを全て捨てなさいと言ったんですね。全てを捨てて私についてきなさいという意味は、現象を全て捨てて私についてきなさいということです。

真実を見たとき、現実は消えます。現実を見たとき、真実は消えます。
お釈迦さまの言われた「正しく見る」ということは、現実を見て生きることなのか、真実を見て生きることなのか、どっちでしょう?
しかし私達は今、どうでしょう。現実を見て生きているのか、真実を見続けているのかということです。
そのことについてイエス様は、汝の見るもの全てを受け継がんと言ったんです。現実を見れば現実の影響を受け、真実を見れば真実の影響を受けるという意味あいを表してますね。

この肉の目は真実が見えますか? 現実しか見えませんね。現れてるもの、偶像しか見えませんね。
心の目と言うのが、真の目は心眼と言いまして、心の目が真実を見るわけです。意識の目ですね。

賢者と偶者の識別とは、賢者とは真我のことか、偶者とは自我のことかと。偶者である自我は災いをもたらしますね。賢者は幸いをもたらしますね。
真我に生きた者は幸いであると。そして、自我に生きてる者は災いありですね。
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2020年09月06日

B252 真の自己は宇宙エネルギー

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心の目には、障壁、壁、時間、空間、距離というものはありません。皆さんの肉体の目には、皆さんのお家は見えませんけども、今ここでどこに向いていようが心の目では自分の家が見えませんか。
私の家はあそこにあります。私はここに向いておって、自分の家が見えるわけです。肉体の目では絶対に見えない。
心の目には方向性がないんです。
皆さん、軽く目をつぶって自分の家を見てください。見えますね。
これが本当の意味においての、目の見える人という意味なんです。
これを名付けて、千里眼と言っているんです。南米の裏であろうが、アメリカであろうがインドであろうが全部見えますね。即見えるわけです。
それが慣れてくると、色鮮やかさそのまま、自分の意識したところに肉の目で見てきたようなものが結果として現れます。
意識の目ではっきり理解する、見ることができるということです。

だから、肉の目には限界がございますけれども、心の目には限界がないということ、これを心眼を開く。
我々は今まで肉の目で見てきたけれど、今からは是非、心の目で見れるようになってください。

今までは、結果しか見えない肉の目に頼りすぎてますね。原因を見るには、どうしても原因の目でものを見なくちゃならない。
結果の目は結果しか見えないんです。心の目は原因の目ですから原因が見えるわけです。
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