2020年06月12日

B246 聖火は生命

18:40
「もみ殻は永遠に消えない火で焼き尽くせ」と言ったのは、この肉体はお米ではございません。もみ殻のようなものですから、
もみ殻は大切に天の蔵に保管されるんですか、火に焼いて捨てるんですか?
お米は蔵に納められますけれども、もみ殻は火に焼いて捨てられるようなものでございますね。

皆さんの生命も天の蔵に納められますけれども、着けているもみ殻は消えない火に焼き付けられますね。
それを『火の洗霊』と言いまして、皆さん方の肉体への執着をとっていただきたい。
まだまだ皆さん方、もみ殻を自分だと思ってますよ。

そのもみ殻にも二つの、もみ殻と表層、即ち中に薄っぺらのものがございます。玄米となってますね。その中に白米がございますね。その白米の状態が本来の姿です。
表層即ち二つの皮を持ってますから、じゃあ玄米は必要ないのかと皆お考えになりますけれども、玄米が大切だ、何が大切だと、そう捉われる必要はございません。

我々は、魂が大切だ、肉体が大切だと言うよりも、一番大切なものは生命ですよね。
一番大切なものを忘れてるんじゃないだろうかと。

21:06
この世の中で一番大切なものは何か?と言うと、『命』とは言いますよ。しかし、命が何であるかは分かりませんね。
命があなたなんでしょ? 命そのものが私自身ですよ。
だから、「我生命なり」であって、肉体なりじゃないんですよ。
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2020年06月06日

B246 聖火は生命

11:48
皆さん方も火葬場に持っていって、この肉体というのを焼きますけども、
本当はあの骨まで残すべきじゃないんですね。
火葬場に行って、火葬場の熱度を上げますと、骨は残らないんです、本来は。全部無くなるんですけれども、骨を欲しがる人がいますから、骨を残すんですね。
その脱け殻に、お洋服にお経をあげたって、意味がございますか?
何の意味もありませんね。
生きてもいないし、聞いても、耳も持たないし、口も持たないし、何も持たない。
自ら無ですから、ゼロ(0)ですから、ゼロのものにお経を何万回あげても聴いてもくれないし、分かってもくれない。
肉体の死は、魂が抜けた脱け殻みたいなものですから、ちょうど、蝉殻みたいなものです。

私達は二つの衣装を持っていることを知ってもらいたい。肉体という衣装と、魂という衣装を持っている。器ですよ。
その中心に生命という、聖なる火が存在しますので、、私達は今、内なる火を外なる闇で覆い被さっているようなもの。

だからイエス様は、その聖なる火は頭上高く掲げなさいと、なぜあなた方はテーブルの下に光を隠すんだと。
即ち、肉体というテーブルの下に、あるいは魂の下に隠してるようなものですから、
神性なる火花を掲げておれば、私達は闇を歩むことはないんです。
生命は光ですから、それを主として掲げるわけですよ。
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2020年05月26日

B246 聖火は生命

8:35
イエス様は、物質に反応して語ったんじゃなくて、霊に反応して語られましたのでね、霊で理解しなくちゃならないんです。
永遠に消えない火で焼き尽くしなさいと言ったら、この世の三次元的な火で焼き尽くすということで、火葬というのが始まったんです。
チリに返すと言ったら、すぐ埋葬というのが始まったと。いうようなものでして、火葬であろうが、埋葬であろうがかまわない。
それは、脱ぎ捨てたお洋服は、皆さん方は火で焼いて処理しようが、チリ袋に入れてチリに捨てようが、その処理方法には何の関係もないでしょ。
焼いて捨てようが、土に埋めて捨てようが、関係ないのと一緒。

脱ぎ捨てたお洋服そのものは、もう無価値でございます。捨てるべきものに執着する必要はありません。
火葬であろうが埋葬であろうが、変わりません。
自分の脱いだお洋服ですから、そんなものがどう処理されようが関係ないんですよ。海に投げ捨てられようが、どこにほったらかされようが、
あの者は海の中で死んだから、どうのこうのとか..、火事の時に死んだからどうのこうのとか。

この肉体の捨て方も、飛行機事故で死のうが、畳の上で死のうが、何も関係ないんです。死ぬこと自体、その肉体という洋服を脱ぐことに対してね。
我々は、その肉体が自分じゃありませんから、肉体というお洋服がバラバラになろうが、形の残ったまま処理しようが、全然関係ないんです。

だから、悪いことすると畳の上では死なないというのは戯言であって、どうですか?あなたの脱ぎ捨てたお洋服が畳の上に置かれていようが、バラバラになろうが関係ないじゃございませんか。
それを怖がるとか、、それは家族の者に対する人情ではありますけども、それは肉というものに捕らわれているものにだけ、悲しみや苦しみはあるんであって、それを悟っているものには、どのような死に方をしようが、そう関係はございません。

あるいは、それが集められなくてもいいわけですよ。どこで水死したから、どこで埋没したから、そこに拾いにいくとか、何をしにいくとか、とんでもない愚かじゃございませんか。これを肉への執着と言います。
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2019年07月23日

A230 自分を知らぬは最大の罪

10:10 永遠に消えない火というのは、その生命のことなんです。聖なる火と、神聖火花とも言われてますね。
聖火ですね。聖なる火は皆さんの中にあるんじゃないですか。
いつか、この不純なるものは我が聖なる火によって焼き尽くされるであろうと。それを、火の洗霊と言われています。

バプテスマのヨハネは水で洗礼を施しましたけれども、イエスキリストは火で洗霊を行われた。永遠に消えない生命の火で、聖なる火で人々をお救いになられた。即ち神聖火花に目覚めさせた。

で、私この知花は、『生命の光道』と言いまして、光の道、その生命そのものが光であると。永遠に消えない光であると。
だから、イエス様も「外なる闇は我が内なる光には勝てなかった」と。
外なる偽物は、我が内なる本物の自分には勝てなかった。
これは、必ず神我が勝利するように神は定めております。
今生で勝利しなくても、必ず来世か来々世か、気の遠くなる人生の中で必ず己に目覚めなければならない。己を知らねばならない。
今生で成し遂げるか、あるいは来世で成し遂げるか、あるいは来々世に持ち込むか。

皆さん方は、まだまだ『自分』というものの自覚がないんですね。それを無知と言うんですね。
あなた方は、どうしてもこの姿形を私と思い込んでいるんです。
それがなくなった状態で、私は生命なんだと・・
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2016年02月11日

肉体とは何か   B129

火の鳥とは、生命は『火』なんですね。
『聖なる火』と言っていますが、生命は火の象徴なんです。
火の鳥のマンガを描いた手塚治虫も、たいへんな想像力を持ったお方だったんですね。本当に意識の尊いお方であったけれども、これには至らなかった。
永遠の生命を得て、お帰りになったんじゃないんです。彼も人間として生きて、火の鳥の血を吸わなかったんです。生命のパンを食しなかったんです。
皆さん方も、この肉体形体を自分だと見て、自分だと思って生きている限りは、昇天することはありません。
偽我の我から生命の我に帰ることを、『天に還る』といいます。
posted by と^と^ at 23:22| 聖火・火葬 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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