22;05 高級霊であるならば、いい話をするであろうと。いい言葉遣いをするだろうと。いい思いで生きるだろうと。いい行いをするだろうと。
いい言葉遣い、いい思い、いい行いをする人は高級霊ですか、低級霊ですか? 悪霊ですか、善霊ですか?
だいぶ、徳を積んでる人ですよね。
皆さん方は低級霊だとか、高級霊だとか、悪霊だと言う意味がまだ分かってない。
霊とはエネルギーですから、霊的力ですから。
だから、悪霊に取りつかれているか、間違っているか、間違っていないかは、即時に判断が出来ますね。
散々、人を非難・批判する人に、高級霊であるはずがないと。
この霊と言うものは、全知全能ですから、この肉我を我だと生きるかぎり、霊的力をいかに悪用してるかということを、よくご理解いただきたいと思います。
26:00 あなたは悟ったら、悪口を言う、言わない?
言わなくなったら、苦しむの、苦しまなくなるの?
何ぜ、苦しむんですか、皆さん方は。人を憎んだり。怒ったり、誹ったり、嫉妬をしたりするから苦しむんですよと。
それが無くなれば、苦しむはずがないと。
だから、霊の次元では全体が一つですから、悪口を言わない、怒らない、誹らない、嫉妬をしない。
そんな善悪がないわけですから、苦しみがあるはずがないということ。
そこを『極楽』と言うのであると。悪いことがある世界を、地獄と言っているのであると。
その悪いこと言ったり、行ったりすることを、悪霊と言うのであると。善霊が悪いことをするはずがないと。
だから、悪霊に取りつかれていると言っても過言ではないと。
これは皆さんも体験者だと思いますよ。私も体験者だから、解るんですよ。体験してなければ、解るはずがない。
皆さん、悪口を言った体験ありませんか? じゃあ、悪霊に取りつかれた体験あるよね。
29;15 一日、一日を真剣に生きなければならない。うっかりすると、すぐ入って来ますよ、悪霊は。
ちょっとの心の隙間も見逃さないでしょ、悪霊は。瞬時につきますよ。これは心の緩みじゃないですか。
心が緩んでる時に、悪霊は隙間なく入って、、一寸の隙も見逃しませんね。やって来るんでしょ。
一日一日に幸せに生きるためには、一日一日,悪霊に取りつかれてはならない。
今日一日、大丈夫だったでしょうか、皆さんは。やっちゃった?
やってしまった? 大丈夫?
30:08 悪の誘惑と言うのを、皆さんご存知ですか。誰かがあなたの悪口を言った時、悪の誘惑を受けていませんか?
その誘惑に負けて、なにくそ!と言った時、もうあなたは誘惑に負けてますよ。
「あんたのことね、醜いと言ったよ、ブスと言いよったよと。」なにくそと怒ったら、もう悪の誘惑に負けたんですね。
これが、盛られた毒を食ってはならないと。
悪に抗するなかれと。抵抗してはならない。独り相撲は取れませんので、ほっておけば自ずから無くなる。
悪で悪は消せませんよ。悪と悪と戦って、解決できるもの? 増幅? 膨れ上がるものですよ。
私みたいに、黒龍と言われようが、悪霊と言われようが、平気でいる。平気ってどう書きます。「平たい気。」
醜いと言われたからといって、怒る必要ないじゃないの。実際に醜いんだから…(笑)
何と言われても、平気でいることのできる人は、心の広い人ですね。勇気のある人ですよね。
勇気のない人は、すぐ噛みつきますよ。犬を見てください。勇気のある犬は、人に噛みつきませんよ。臆病な犬は、人にすぐ噛みつきますよ。やられる前にやるという思いで噛みつきますからね。
2021年09月12日
2021年04月29日
B269 善とは何か 悪とは何か
02;55
神が人間という悪の衣装を着けている、という意味が書いてますね。自我は衣装です。神我は神です。
神我が自我と言う衣装を着けて、悪の衣装を脱ぎ捨てるということは、自我を脱ぎ捨てると。
まだまだ、自我意識があるかぎりは人が許せません、すぐに。
あなた方が絶対善そのものになって、初めて神我そのものなんです。都合のいい人は、どんな悪人だって愛せるんです。
自分に都合のいい人、悪い人。自分を傷つけてる人、あるいは罵っている人。そういう人でも許せて、愛することが出来る状態ですね。
しかし、私達は自分の都合のいい人はいくらでも愛せるけど、都合が悪くなると、すぐ悪に変わりますね。
神我の世界にはそんなことはないんです。だから、極楽です。
04;30
生命の世界には悪と言うのはないんです。外側の表現の世界にのみ悪はあるわけです。何ぜかと言うと、分離感を持つからです。生命の世界は一体感です。全体は一つであるということ。根源は一つであるということ。
だから、我々が一つ目にならない限り、本当の善は出てこないんです。
05;10
仏教では三業(さんごう)と言ってますね。我々は何で悪いことするかと言うと、悪い言葉、悪い思い、悪い行い。
言葉において、いい言葉使い、いい思い、いい行い、これが出来て初めて神我なんです。
言葉の罪を犯さない、思いの罪を犯さない、行いの罪を犯さない。罪を犯さなくなって、初めて神我到達なんですね。
人の悪口を言ってる時は、言葉の罪。人を憎んでいる時は、思いの罪。人のものを盗むとか、叩くとか、暴力とかそういうものは行いの罪なんです。
どんな宗教に入っていても三つの業がある限りにおいては、再三,この地に再度生まれてくると。これを、輪廻と言われているわけですね。
我々は何ぜ、再度この世に生まれてくるかと言うと、神のように絶対善・完全にならないからなんです。
皆さん方は、完全と不完全という言葉を使いますけれど、神我は完全なんです。自我は不完全なんです。
だから、我々は早くこの不完全な自我というものを克服せねばなりませんね。
神が人間という悪の衣装を着けている、という意味が書いてますね。自我は衣装です。神我は神です。
神我が自我と言う衣装を着けて、悪の衣装を脱ぎ捨てるということは、自我を脱ぎ捨てると。
まだまだ、自我意識があるかぎりは人が許せません、すぐに。
あなた方が絶対善そのものになって、初めて神我そのものなんです。都合のいい人は、どんな悪人だって愛せるんです。
自分に都合のいい人、悪い人。自分を傷つけてる人、あるいは罵っている人。そういう人でも許せて、愛することが出来る状態ですね。
しかし、私達は自分の都合のいい人はいくらでも愛せるけど、都合が悪くなると、すぐ悪に変わりますね。
神我の世界にはそんなことはないんです。だから、極楽です。
04;30
生命の世界には悪と言うのはないんです。外側の表現の世界にのみ悪はあるわけです。何ぜかと言うと、分離感を持つからです。生命の世界は一体感です。全体は一つであるということ。根源は一つであるということ。
だから、我々が一つ目にならない限り、本当の善は出てこないんです。
05;10
仏教では三業(さんごう)と言ってますね。我々は何で悪いことするかと言うと、悪い言葉、悪い思い、悪い行い。
言葉において、いい言葉使い、いい思い、いい行い、これが出来て初めて神我なんです。
言葉の罪を犯さない、思いの罪を犯さない、行いの罪を犯さない。罪を犯さなくなって、初めて神我到達なんですね。
人の悪口を言ってる時は、言葉の罪。人を憎んでいる時は、思いの罪。人のものを盗むとか、叩くとか、暴力とかそういうものは行いの罪なんです。
どんな宗教に入っていても三つの業がある限りにおいては、再三,この地に再度生まれてくると。これを、輪廻と言われているわけですね。
我々は何ぜ、再度この世に生まれてくるかと言うと、神のように絶対善・完全にならないからなんです。
皆さん方は、完全と不完全という言葉を使いますけれど、神我は完全なんです。自我は不完全なんです。
だから、我々は早くこの不完全な自我というものを克服せねばなりませんね。
2021年04月15日
B269 善とは何か 悪とは何か
15;45
善悪と言うのは、善なる言葉、善なる思い、善なる行い。この3つは我々が絶対に修行者として守らねばならない。
人の傷つくようなことを言っちゃいけない。言ってほしくないようなことを人に言っちゃいけない。というようなことで、私達は言葉一つ一つを出すためにも、慎重に出していくと。
こういう思いしていいんだろうか。神だったらこんな思いするんだろうかと。神だったらこんな言葉使いするんだろうかと。神だったらこんな行いをするんだろうかと。常に自分に厳しく鞭打つことですね。
それを野放しにしたがゆえに、私達はたくさんの罪を背負うことになった。
皆さん方、罪と悪と何が違います? だから、我々は罪人であり、悪人であると。
私がもし誰かの悪口を言っていたとすると、私は言葉の罪を犯していることになります。誰かを憎んでいたとすると、思いの罪を犯していることになります。誰かを殴ったとすると、行いの罪を犯したことになります。あるいは、物を盗むとか。皆さん方は3つの罪を持ってるわけです。
19;30
真の宗教と言うのは、宇宙的でなければならない。人間的であってはならないんです。
世の中には、もうほとんど宇宙的な宗教はなくなって、人格的な宗教が存在しているわけですね。イエス様だ、お釈迦様だと言って。神は大宇宙なのに、人の姿形を神だと勘違いをして、人の形を拝む。これを、偶像崇拝と言うんですね。
無限宇宙が神ですから、その宇宙規模の宗教をやらねばなりません。真の神は人間的ですか? 宇宙的ですね。
イエス様もお釈迦様も、宇宙の一部なんです。真の宗教が、この地球に今,存在してますか? ないですね。
お釈迦様もはっきり教えてますね。宇宙即我、我即宇宙と。色と空は一つだと。見える世界と、見えない世界は一つとなって存在してるんだと。
いうことで宇宙大の宗教だったんです、仏教も。
キリスト教も、天の父と私は一体であると。あなた方も、天の父と繋がらないと不毛であるという、宇宙大の宗教だったんですね、キリスト教も。
それをいつのまにか誤謬化して、人間の低い次元にまで神を引きずりおろして、そこで神を唱えるようになった。
善悪と言うのは、善なる言葉、善なる思い、善なる行い。この3つは我々が絶対に修行者として守らねばならない。
人の傷つくようなことを言っちゃいけない。言ってほしくないようなことを人に言っちゃいけない。というようなことで、私達は言葉一つ一つを出すためにも、慎重に出していくと。
こういう思いしていいんだろうか。神だったらこんな思いするんだろうかと。神だったらこんな言葉使いするんだろうかと。神だったらこんな行いをするんだろうかと。常に自分に厳しく鞭打つことですね。
それを野放しにしたがゆえに、私達はたくさんの罪を背負うことになった。
皆さん方、罪と悪と何が違います? だから、我々は罪人であり、悪人であると。
私がもし誰かの悪口を言っていたとすると、私は言葉の罪を犯していることになります。誰かを憎んでいたとすると、思いの罪を犯していることになります。誰かを殴ったとすると、行いの罪を犯したことになります。あるいは、物を盗むとか。皆さん方は3つの罪を持ってるわけです。
19;30
真の宗教と言うのは、宇宙的でなければならない。人間的であってはならないんです。
世の中には、もうほとんど宇宙的な宗教はなくなって、人格的な宗教が存在しているわけですね。イエス様だ、お釈迦様だと言って。神は大宇宙なのに、人の姿形を神だと勘違いをして、人の形を拝む。これを、偶像崇拝と言うんですね。
無限宇宙が神ですから、その宇宙規模の宗教をやらねばなりません。真の神は人間的ですか? 宇宙的ですね。
イエス様もお釈迦様も、宇宙の一部なんです。真の宗教が、この地球に今,存在してますか? ないですね。
お釈迦様もはっきり教えてますね。宇宙即我、我即宇宙と。色と空は一つだと。見える世界と、見えない世界は一つとなって存在してるんだと。
いうことで宇宙大の宗教だったんです、仏教も。
キリスト教も、天の父と私は一体であると。あなた方も、天の父と繋がらないと不毛であるという、宇宙大の宗教だったんですね、キリスト教も。
それをいつのまにか誤謬化して、人間の低い次元にまで神を引きずりおろして、そこで神を唱えるようになった。
2021年04月13日
B269 善とは何か 悪とは何か
10:55
神の国とは何かと言うと、善の国です。調和の国です。大調和の世界に入るには、あなたそのものが大調和でなくてはならない。
類は類を呼ぶ。類は友を呼ぶと。悪人は悪人同士、集まります。善人は善人同士が集まります。死後の世界には、善人の住処と悪人の住処があると言われてますね。
この地上界でも、やや同じことが行われてますね。悪人は悪人同士の友達、善人は善人同士の友達。しかし、この世の中の皆さんの言ってる善人は、不純の善であって、絶対善ではないですね。まあまあ少しは、よその者よりはいいことやってると。
12;14
私達は言葉の罪とか、行いの罪は非常に慎みますけれど、思いの罪が慎めないんですね。
何ぜかと言うと、言葉の罪はすぐ結果として現れます。行いの罪も結果として現れます。思いの罪というのはすぐ結果として現れませんから、思いの罪が90%を占めていると言われてますね。
行いの罪を犯しますと、この三次元的な法でも裁かれますね。
何と言ってもいいという、言葉の自由と言うのがございますけれど、大変な法律を作ったもんだなと思うんですね。悪いこと言っても自由だと、はき違えをしてるんのじゃなかろうかと思いますね。
本当は、行いで裁判で裁かれているように、言葉も裁かねばならないんです。言論の自由と旗を掲げて、どんなことでも言っていいというようなことじゃないと思いますね。
言葉には、言っていい言葉と、言っていけない言葉があると思うんですよ。それを平気で、言論の自由だからと言って、野放しにしていたんじゃ世の中はおかしくなるだけだと私は思います。
言論の自由だからと言って、人の悪口を平気で言うということは、たくさんの罪を犯すことになるわけです。
昔は、言葉を慎みなさいと言う教えがあったと思います。いったん口から出た言葉は呑み込めませんよと。
イエス様はこう言われたんです。入る物はそう毒にはならないけれど、出るものは毒になると言った諺がありますね。
神の国とは何かと言うと、善の国です。調和の国です。大調和の世界に入るには、あなたそのものが大調和でなくてはならない。
類は類を呼ぶ。類は友を呼ぶと。悪人は悪人同士、集まります。善人は善人同士が集まります。死後の世界には、善人の住処と悪人の住処があると言われてますね。
この地上界でも、やや同じことが行われてますね。悪人は悪人同士の友達、善人は善人同士の友達。しかし、この世の中の皆さんの言ってる善人は、不純の善であって、絶対善ではないですね。まあまあ少しは、よその者よりはいいことやってると。
12;14
私達は言葉の罪とか、行いの罪は非常に慎みますけれど、思いの罪が慎めないんですね。
何ぜかと言うと、言葉の罪はすぐ結果として現れます。行いの罪も結果として現れます。思いの罪というのはすぐ結果として現れませんから、思いの罪が90%を占めていると言われてますね。
行いの罪を犯しますと、この三次元的な法でも裁かれますね。
何と言ってもいいという、言葉の自由と言うのがございますけれど、大変な法律を作ったもんだなと思うんですね。悪いこと言っても自由だと、はき違えをしてるんのじゃなかろうかと思いますね。
本当は、行いで裁判で裁かれているように、言葉も裁かねばならないんです。言論の自由と旗を掲げて、どんなことでも言っていいというようなことじゃないと思いますね。
言葉には、言っていい言葉と、言っていけない言葉があると思うんですよ。それを平気で、言論の自由だからと言って、野放しにしていたんじゃ世の中はおかしくなるだけだと私は思います。
言論の自由だからと言って、人の悪口を平気で言うということは、たくさんの罪を犯すことになるわけです。
昔は、言葉を慎みなさいと言う教えがあったと思います。いったん口から出た言葉は呑み込めませんよと。
イエス様はこう言われたんです。入る物はそう毒にはならないけれど、出るものは毒になると言った諺がありますね。
2019年05月24日
B221 不動心とは何か
世の中は、まだまだ二心で生きています。
善の心もあれば、悪の心もあるという人は、まだ善悪の木の実を食べねばなりませんね。
それは、アダムとイブの最初の悪知恵と神の知恵と2つを、蛇に騙されて食べたのと一緒ですね。
それを食べて依頼、未だかつて人間はまだ善悪の木の実を食べてますね。
善悪の心があるんだと信じこんでますね。
心の悪い人のことを善霊と言うんですか?悪霊と言うんですか?
皆さん方、悪霊が怖いと言いますね。悪霊に取り憑かれてると。
あなたが誰かを憎んでいるとき、あなたは悪霊に取り憑かれてませんか?
悪い心に取り憑かれてますね。
じゃあ、憑依霊は誰が受けるんですか?誰が持ってくるの?
悪い心に支配された状態を憑依霊と。
いい心があなたを支配してるときは、神がかりですね。
善の心もあれば、悪の心もあるという人は、まだ善悪の木の実を食べねばなりませんね。
それは、アダムとイブの最初の悪知恵と神の知恵と2つを、蛇に騙されて食べたのと一緒ですね。
それを食べて依頼、未だかつて人間はまだ善悪の木の実を食べてますね。
善悪の心があるんだと信じこんでますね。
心の悪い人のことを善霊と言うんですか?悪霊と言うんですか?
皆さん方、悪霊が怖いと言いますね。悪霊に取り憑かれてると。
あなたが誰かを憎んでいるとき、あなたは悪霊に取り憑かれてませんか?
悪い心に取り憑かれてますね。
じゃあ、憑依霊は誰が受けるんですか?誰が持ってくるの?
悪い心に支配された状態を憑依霊と。
いい心があなたを支配してるときは、神がかりですね。
2019年05月20日
B220 完全意識と不完全意識
神様が不完全な意識を持ってると思いますか?
神様が病気を意識したり、苦しみを意識したり、憎しみを意識したりするでしょうか。しませんでしょ。
常にいいことのみ、良きことのみ、即ち善意、良き思い。そういうものが神の思いであります。意識であります。
だから、善意は神のもの、悪意は人のものと言います。
良き思いは神のもの。悪しき思いは人のものなんです。
よく皆さん方には、いい思いがぽこりと起こってくる場合があります。これは、みんな神からの思いなんです。神の想念なんです。
悪い思いは、あなたの自我の思いなんです。外から拾ったものなんです、悪意は。
皆さん方は、ある日いい思いが思いつく場合があるでしょ。これは、みんな内なる神我からくるものなんですね。
しかし、皆さん方は自分の思いだと思ってますね。それは、正想念はすべて神から来ます。悪しき想念はすべて自我から来ます。
自我というのは、ないものをあると思ってる自分のことを、自我と言います。偽我と言います。皆さん方は、これでされも一切否定しなくちゃならないんですね。
不のつくものを一切を否定して無視して、完がつくものを完全なるものを常に意識する。神は完全なりと言います。
神様が病気を意識したり、苦しみを意識したり、憎しみを意識したりするでしょうか。しませんでしょ。
常にいいことのみ、良きことのみ、即ち善意、良き思い。そういうものが神の思いであります。意識であります。
だから、善意は神のもの、悪意は人のものと言います。
良き思いは神のもの。悪しき思いは人のものなんです。
よく皆さん方には、いい思いがぽこりと起こってくる場合があります。これは、みんな神からの思いなんです。神の想念なんです。
悪い思いは、あなたの自我の思いなんです。外から拾ったものなんです、悪意は。
皆さん方は、ある日いい思いが思いつく場合があるでしょ。これは、みんな内なる神我からくるものなんですね。
しかし、皆さん方は自分の思いだと思ってますね。それは、正想念はすべて神から来ます。悪しき想念はすべて自我から来ます。
自我というのは、ないものをあると思ってる自分のことを、自我と言います。偽我と言います。皆さん方は、これでされも一切否定しなくちゃならないんですね。
不のつくものを一切を否定して無視して、完がつくものを完全なるものを常に意識する。神は完全なりと言います。

