今、世の中は刈り込みが始まっていると。神は刈り込みを為されるということは、葉っぱだけ茂ると実はなりますか?
今、人類浄化と言うのは、葉っぱだけ茂って、誰も葉っぱが自分だと思って生命に目覚めるものがいないんですよ。
聖書にはこう書いていますね。葉だけ茂らせて実がならないから、これは切り倒しましょうか、という所があると思います。
もう葉っぱが自分だと思い込んで、器が自分だと思い込んでる人間しかいませんので、今刈り込みが始まっていると。
今まで、事故とか災難と言うのは1人や2人だったんですけれど、集団的に何千名どこで死んだ、どこで何千名事故があったとか言うのは、もう刈り込みが始まっているんですね。
また、聖書の中にはこうも書いていますね。常に木の根っこには斧が準備してありますよ、ということが書いてありますよ。
その斧と言うのは何かと言いいますと、もう実をつけるもの、目覚めるものがいなかったとすると、根っこから切り倒しましょうか、という所があると思います。
それは、人類滅亡のことを示しているんです。
どうせ、葉っぱだけ茂って実をつけないものは役立たないわけですから、根っこから切り倒しましょうか? まあまあ、待てと。後1年待ちましょうと、いう所があると思いますね。
今、世の中は切り倒されるか、残るかの土壇場にあると。
実のならないような木だったら、置いておっても有害であって、何にもなりませんので切り倒しましょうかということなんです。
だから、皆さん方は一人一人の人間と言うのは、ブドウの木の枝葉のようなものであると言われているわけです。
その中に植物という葉っぱは、樹液、即ち生命液がなければ生きられない。その樹液のことを、内在のキリストと言うんです。
だから、イエスキリストは「私は幹であると。そして樹液であると。」
それを仏教では菩提樹と言うんです。その樹液そのものが生命ですね。即ち、精液ですよ。
人間から樹液を取りますと、人間は生きていませんよ。だから、人間という形はあくまでも器ですよと、言いたいんです。

