2021年07月03日

B259 大我と小我は一体

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ここに何十年いても、生半可な人が真理に到達することは不可能ということです。年月ではない、真剣味が必要ということです。
途中下車しないように。
ここから離れていった人は、真我に到達すると思う?しないと思う?
残念ですけど、しません。断言できますよ。
まあ、反省して戻ってくるなら別ですけど、帰らないでやると、もう到底不可能です。しょうがないですね。

まあ、二千年前にイエス様も僅かの数名しか、ここに連れ込みませんでしたので、私はそれ以上,皆さんを連れ込みたいんです。欲望がありますから…
本当に何名が、こういう意識状態になってくれるかというのを、希望してます。自分の目的としてます。
これは、数名じゃなくて多くの人々が到達してもらいたいという希望であり、望みであると。
であるが故に、こうして朝晩厳しいことを、同じことを言ってるわけですね。

我々も、お互いに励まし合って落伍しないように、真我に一体になるまではどんなことがあっても、これでもか、これでもかで…
手を握りしめて、奥歯を噛みしめて、振り落とされないように努力していきたいと思います。

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2020年03月17日

B240 一心集中

30:04
真剣勝負なんですよ。真剣でなければ勝利しますか? 生半可でものが達成できますか。
学校に入学するにも、生半可の遊び半分の勉強の仕方では学校に入学出来ませんね。特に、天国に入る為の生半可な気持ちで、天国に入った人は一人もいません。入国した人は一人もいない。
もっともっと、皆さん方には真剣味というものが大切ではないんだろうかと思いますね。
眠たいときは眠って、起きたいときには起きて、聞きたいときには聞いても、聞いてるのか聞いてないのか、分かってるのか分からないような生半可ではないということです。

あなた方がね、もう少し理解力が強くなれば、解るようになれば無我夢中になります。あなた方に無理のないことなんです。
その霊的喜びという体験がなければ、無我夢中になれないんです。だから、最初の素人の人に無我夢中になりなさいと言っても、それは無理な話しです。
例えば、ここで皆さん方が一年位こうして学び、朝晩話しを聞いて続けているうちに、本当に自分というものが真剣にやらねばならないということを、皆さん方も体験してくると思う。最初はもう嫌でたまらない。それよりは家で寝ておった方がいい。何かやっていた方がいいと思うでしょう。それは無理もないことです。今までの習慣性として自我で生きてきましたので、話しを聞くことさえも苦痛であるというようなことがよく起こるわけです。
しかし、あなた方が本当に聞いて一生懸命やってるうちに、無我夢中になって、後一年もすれば
後一年、皆さん方がみっちりここでやると、もう天と地の差があります。
だから、ここに毎日おれて働いて話しが聞けるということは、もうしめたものです。皆さん方のハートから影が消えていることは事実です。
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2019年02月13日

B210 悟空とは何か

私が南米の密林に行って、道のないところを切り開いたというのは偶然ではなく、
密林の道のないのを切り開くのと、神の到達する道のないのを切り開くのと同じことなんです。

ちょうど、真理の道も険しい道なんです。
だから生半可で、話しを聞けば悟るものかというようなことでは、到底これは手にすることは出来ない。
だから、家に帰っても徹底して追究して、真剣に神、即ち命を追究してるか。
これを、ここに残った皆さんだけでも落伍しないように、ついて来て頂きたいと思います。途中で落伍した者がいかに多いかと。皆さん、目の前で見てるんでしょ。
ここから離れていった連中が、この生命に到達すると思う?
楽な道を歩もうとして、逃げていったわけですよね。他力本願にすがろうとしてるわけです。
自分では到底出来ないと、恐怖に怯えて、自分でやることの怠け者は、ここに居残ることはない。
自分でやるしかないと、真剣勝負にかけた者のみが居残っています。
アドバイスはできますけど、実際にやるのは自分です。
道を案内するものがいてでさえもこんなに厳しいのに、いなかったとすると、なおかつ厳しいということです。
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2018年12月26日

A216 霊的自覚

これは、例え話のようだけど、今生来るんです。
私は後でやるんだ、肉我の方が今は好きだからと怠けておって、真理を学ぶことなく、知ることなく、
あなた方にいつお迎えが来るということ、皆さんご存知ですか?
いつお迎えが来ても大丈夫のように、しておかなければならないですね。
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死ぬものには、死ぬ苦しみを体験せねばならないんです。
死なない者には、死ぬ苦しみがありますか?
今生はね、たいへんな苦しみがあるんです。
間近に迫っているんです、そういう状態が。これは、否応なしに来るということです。
皆さんに恐怖症を植え付けてるんじゃない。
しかし、皆さん方はあまりにも真我発見の為に生半可。真剣味がない。
本当に真剣味のある人ならば、いつお迎えがきてもいいように、大霊に目覚めてなければならないですけども、皆さんの日常生活は肉に生きちゃってるんです。
肉の克服とは、我は血や肉じゃないんだと、私は大霊であって、肉ではないんだと。霊的自覚を常に持ってなければならない。
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2018年10月08日

A209 霊性の開発

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今,皆さん方は、毎日,目の治療を受けているわけです。
偽我という幻しか見えない、映しという結果しか見えない人間がですね、「真実」が見えるようになるように、毎日治療を受けているようなもの。

毎日聞いて、毎日こういう刺激を受けている人は、毎日治療を受けているけれども、
怠け者は、治療よりも外側を見て生きた方がいいですから、なかなかここには来ないし、見ようともしないんです。
理解しようともしないことを「怠け者」と言うんですけれども、
だから、それには『真剣味』が必要ですよ。
真剣さが必要なんです。生半可で霊的自覚はできますか?
もう、本当に真剣味がなければなりませんね。忍耐と努力が必要です。

自分が大霊そのものだという『霊的自覚』ができるまでは、忍耐と努力が必要となってくるわけです。
そうたやすく手に入れることは出来ませんね。
ここで、毎日,目薬を頂きながらも、なかなかそれが実行できないわけですから、だから自分でも家に行きましても皆さん方、
今までこの映しという影、この現れの世界を見ていた自分を、外側を見ていた自分を、内側に内観し憶念するように、この大霊に一心を集中しなければならない。
これが、『瞑想』というものなんですね。
内観と瞑想は、同じものなんです。
その『普遍的なもの』を見ることは、内観であり瞑想なんです。

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2017年09月08日

霊   A183

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世の中に今、真理を教えてるところ何か所ぐらいあると思います?
あなた方、今一番恵まれているところなんですよ。あなた方ほど恵まれているものはいませんよ、今。
こんないい場所におりながら見逃すのか、それとも、今それを理解するのか・・
開放されるんですよ、真の自由、永遠の自由を得るんですよ。
この大切な時期、恵まれた時を、のんのんと悟ろうともしないで、知ろうともしないで時を流すのかと思うと、私の胸は張り裂ける思いですよ。
生半可じゃございませんよ。真剣に真剣に自己追及することじゃございませんか。
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