1:44
本来、私達の中にキリストはおられるわけです。
キリストは「わたしは、あなた方が全てのものと一つになるまで、あなた方の中に留まる」と書いています。
我、生命なりというのは、我キリストなりと。
2:35
カトリックではよく聖体拝領と言いまして、パンを割くという儀式がございます。パンを口にくわえさせて食べさすと。
これは天より下るパン、このパンとは何を意味してるかと言うと、生命のパンを意味してるわけです。
それを食べるということは、受け入れると。永遠の生命を受け入れると。わたしを受け入れるとは、キリストを受け入れると。
そのキリストとは何かいうと永遠の生命、即ち無限生命を受け入れると。
永遠の生命を受け入れるわけですから、永遠に生きるものとなると。何ぜかと言うと、生命は永遠であるからです。
生命を食したという意味は、自分が永遠の生命そのものであることであると、いうことを意味しておるわけです。
あなた方の食するパンは肉体を育てるけれど、わたしから食するパンは魂を育てると書いています。
2020年01月01日
2019年12月28日
B237 キリストとは何か
30:38
神のものを受け入れるということは、受け入れる能力であると。
その受け入れるためには、”理解能力”というものが必要なんですね。神に対しての理解能力。
それを理解しなければ、受け入れることは不可能なんです。理を解することです。
無理解ということは、理が解らない。法則が解らないということですから、無理解のままでは神のものをあなたは受け継ぐことはできない。
33:50
真の満足とは神を受け入れたときなんです。今、我々は自己満足をしております。
満足とは神を受け入れたとき、もうそれ以上欲しいものが何にもない。神に満たされる。全てが満たされる。これを久遠の富、永遠なる富に満たされますので、もう何もいらない。
なぜなら全ての良きものが、あなたのハートに満たされるからでございますね。
イエスキリストが受け継いで、知花がもう受け継いだから、私のものはもう残ってないだろうということではないですね。
神のものを受け入れるということは、受け入れる能力であると。
その受け入れるためには、”理解能力”というものが必要なんですね。神に対しての理解能力。
それを理解しなければ、受け入れることは不可能なんです。理を解することです。
無理解ということは、理が解らない。法則が解らないということですから、無理解のままでは神のものをあなたは受け継ぐことはできない。
33:50
真の満足とは神を受け入れたときなんです。今、我々は自己満足をしております。
満足とは神を受け入れたとき、もうそれ以上欲しいものが何にもない。神に満たされる。全てが満たされる。これを久遠の富、永遠なる富に満たされますので、もう何もいらない。
なぜなら全ての良きものが、あなたのハートに満たされるからでございますね。
イエスキリストが受け継いで、知花がもう受け継いだから、私のものはもう残ってないだろうということではないですね。
2019年12月25日
B236 キリスト
4:10
キリストとは何かと言うと、我々全てのものはキリストの中に留まって、キリストは全ての中に留まっています。
その無限生命・大生命・宇宙生命そのものがキリストですから、全てのものはこの無限生命・宇宙生命の中に留まって、宇宙生命は全ての中に存在しているんですね。
だから、キリスト我が中に存(ましま)す。即ち神、我が中に存す。
そのキリストは全知全能の愛です。絶対愛のキリストです。愛の他に何も知りません。
6:27
・・オリーブの山に立ってる時に誰が現れたでしょう。エリヤとモーゼが現れましたね。そうすると、3つの宮を建てましょうかと誰かが言ったと。いやいや、そんな必要はないんだと。
エリヤは予言、モーゼは奇跡を意味しています。それは象徴的に書かれているがゆえに、そのまま三次元的なモノサシで、すぐとらえてしまうんですね。
そこにオリーブの山に立たれて祈られたときに、イエスの身体から目も眩まん、宇宙を照らす光ですから、全世界を照らす光ですから、それは皆さんの創造を絶する光が放流・放射されたわけですね。
その時は、無限光である永遠の生命と一体になられた状態を意味してるわけです。そうなりますと、闇の原子は光の原子に変性・変容を遂げるということを意味しています。
7:50
私達の中に、全世界を照らす光は存在しています。愛の光が存在しているわけです。これがキリストです。
これを聖なる火、神聖火花と言ってるわけです。
キリストは、または何を象徴としてるかと言うと、火を象徴としています。
キリストとは何かと言うと、我々全てのものはキリストの中に留まって、キリストは全ての中に留まっています。
その無限生命・大生命・宇宙生命そのものがキリストですから、全てのものはこの無限生命・宇宙生命の中に留まって、宇宙生命は全ての中に存在しているんですね。
だから、キリスト我が中に存(ましま)す。即ち神、我が中に存す。
そのキリストは全知全能の愛です。絶対愛のキリストです。愛の他に何も知りません。
6:27
・・オリーブの山に立ってる時に誰が現れたでしょう。エリヤとモーゼが現れましたね。そうすると、3つの宮を建てましょうかと誰かが言ったと。いやいや、そんな必要はないんだと。
エリヤは予言、モーゼは奇跡を意味しています。それは象徴的に書かれているがゆえに、そのまま三次元的なモノサシで、すぐとらえてしまうんですね。
そこにオリーブの山に立たれて祈られたときに、イエスの身体から目も眩まん、宇宙を照らす光ですから、全世界を照らす光ですから、それは皆さんの創造を絶する光が放流・放射されたわけですね。
その時は、無限光である永遠の生命と一体になられた状態を意味してるわけです。そうなりますと、闇の原子は光の原子に変性・変容を遂げるということを意味しています。
7:50
私達の中に、全世界を照らす光は存在しています。愛の光が存在しているわけです。これがキリストです。
これを聖なる火、神聖火花と言ってるわけです。
キリストは、または何を象徴としてるかと言うと、火を象徴としています。
2019年12月24日
B237 キリストとは何か
1:30
イエスキリスト、字の如くでございます。私は生命であるという意味なんです。
ノーじゃないんです。「はい、私は生命」という意味なんです。
キリシタル=キリスト、即ち水晶ですね。イズラエルとヘブル語では言います。
キリストのことを「イズラエル」とヘブル語では言いますけども、水と光の調和を意味するのでございます。
原初人間は水晶人間であるとまで言われているわけです。
キリストとは何かと言いますと、皆さんの神我、即ち大生命なんです。
だから、私達はキリストと共におるわけです。キリストは我が中に存すと。
皆さんはキリストの中におり、キリストは皆さんの中におるという理解が正しいのですね。
8:00
キリストは非人格的存在ですか、人格神ですか。
非人格であると同時に人格なんです。そのキリストが人を通して現れたとき、人格神となると。
これをキリストの再臨・降臨。
再び、私はこの地に現れるのであるという予言をしてますね。
皆さん方が神我に目覚めて、神我を顕現したとき、再びキリストがこの地に現れたことになりませんか。
イエスキリスト、字の如くでございます。私は生命であるという意味なんです。
ノーじゃないんです。「はい、私は生命」という意味なんです。
キリシタル=キリスト、即ち水晶ですね。イズラエルとヘブル語では言います。
キリストのことを「イズラエル」とヘブル語では言いますけども、水と光の調和を意味するのでございます。
原初人間は水晶人間であるとまで言われているわけです。
キリストとは何かと言いますと、皆さんの神我、即ち大生命なんです。
だから、私達はキリストと共におるわけです。キリストは我が中に存すと。
皆さんはキリストの中におり、キリストは皆さんの中におるという理解が正しいのですね。
8:00
キリストは非人格的存在ですか、人格神ですか。
非人格であると同時に人格なんです。そのキリストが人を通して現れたとき、人格神となると。
これをキリストの再臨・降臨。
再び、私はこの地に現れるのであるという予言をしてますね。
皆さん方が神我に目覚めて、神我を顕現したとき、再びキリストがこの地に現れたことになりませんか。

