1:06:35
今世紀末に多くの人々がこれを理解して、自己解放をするだろうと。
本当は、イエスキリストは道を開いてくれたんですけれども、道を閉ざしたのは今のキリスト教徒ですから、また新たに道を開けねばならなかったわけですよ。
しかし、今時期的に多くの人が理解できる時がやって参りますので、今開かれた道は閉ざされることはないだろうと。
イエスキリストの時代は、僅かの何人かが道を知っただけだったんです。イエスの12の弟子でさえも、イエスが十字架にかかって復活するまで、その道を知らなかった。
生命が永遠であり、久遠であるということを知らなかったがゆえに、イエスは復活して生命の永遠性を現象化して、現して見せてくれたわけです。
そして、手の傷跡や足の傷跡を触ってみて、あ、命は永遠であるということは事実なんだな、ということを示されたわけです。
イエスキリストは33才で十字架にかかっていますけども、復活後シリアに渡られて85才まで肉を保っておられました。
その後、ヒマラヤに上がられまして、現在ヒマラヤの方で大聖者として、指導者として存在しておられます。
彼の肉体は完全に霊化された肉体、マイルーパと言いまして、彼の肉体は自由自在に物質化することも、非物質化することも、半物質化することも、自在です。
そういう偉大なる大師であり、霊的指導者であられるキリストを尊敬していかなければなりません。
しかし、その道を閉ざしたのは、イエスの弟子と自称するキリスト教によって、その道は閉ざされてしまったんです。彼の現象我を追いまくったからです。
2020年02月04日
2019年10月11日
A235 原点と接点の識別
2019年10月03日
B230 信仰について
15:41 外人さんは、ご先祖の祟りや水子の祟りや悪霊の祟りを信じてませんので、そういうものに完全に自らの心を悪に開いてない、閉ざしてる状態ですから、外人さんは悪霊の祟りを受けないんです。
なぜ、沖縄の人は悪霊の祟りを受けるかと言うと、悪霊の祟りを信じて、悪霊に心の扉が開かれているからです。
で、現実にあるんじゃないかと。あります。それは自分が開いたんです。閉ざせばないけれども、開くことによってあるという結果を生み出しています。
外人さんは信じないことによって陽気で生活することが出来るのに、なぜ沖縄の人は陰気で、ご先祖の古い習慣性を信じて、闇の信仰をして、ご先祖の祟りを信仰して心の扉を開かれる。そうすると、どんどん入ってくる。皆さん方がそれを否定し、拒否したとき、完全に閉ざされていますので、心の扉には入りっこないんです。
それは皆さん方が、ちょっとでも恐怖を持ったり、それを信じたりすることによって入ってまいります。
そういう悪霊を構って信じて信仰してるものは、悪の信仰であって、闇なる信仰、災いの信仰をしています。それを黒魔術と言います。
白魔術と言うのは、光に心が向いて、悪の扉をピシャリと閉めて、神の完全なる愛と慈悲に満たされた心に全開して、光をいただき完全なる我々を守っていただく...
なぜ、沖縄の人は悪霊の祟りを受けるかと言うと、悪霊の祟りを信じて、悪霊に心の扉が開かれているからです。
で、現実にあるんじゃないかと。あります。それは自分が開いたんです。閉ざせばないけれども、開くことによってあるという結果を生み出しています。
外人さんは信じないことによって陽気で生活することが出来るのに、なぜ沖縄の人は陰気で、ご先祖の古い習慣性を信じて、闇の信仰をして、ご先祖の祟りを信仰して心の扉を開かれる。そうすると、どんどん入ってくる。皆さん方がそれを否定し、拒否したとき、完全に閉ざされていますので、心の扉には入りっこないんです。
それは皆さん方が、ちょっとでも恐怖を持ったり、それを信じたりすることによって入ってまいります。
そういう悪霊を構って信じて信仰してるものは、悪の信仰であって、闇なる信仰、災いの信仰をしています。それを黒魔術と言います。
白魔術と言うのは、光に心が向いて、悪の扉をピシャリと閉めて、神の完全なる愛と慈悲に満たされた心に全開して、光をいただき完全なる我々を守っていただく...
2019年10月01日
B230 信仰について
私は悪霊の祟りを信じているんだという人は、そこに心・魂の扉が開かれまして、悪なるものが自分自身に入ってくるわけです。
沖縄は特に祟りの信仰が多いわけですね。
私達は正しい信仰となりますと、神を信じなくちゃならないんですね。神の癒しや、力を信じなくちゃならない。神の愛と慈悲を信じなくちゃならない。
自分の中に、完全なる神や慈悲を信仰してますと、完全なる影響を受けまして、私達銘々は完全なるものとなります。
イエス様でも、30名のライ病患者の前に行きましたら、その中から何名が救われたかというと、わずかの2~3名しか、、
イエス様は神の御使いだ、神の力を持っていると信じたものは、目の前で癒されたわけです。
あとの者は半信半疑であったり、好奇心で治すか治さないか分からないというものは、非常に効果が薄かったわけです。
2019年09月28日
A235 原点と接点の識別
21:50 イエスは最後の最後まで絶対愛を押し通したわけです。どんなに迫害を受けようが罵られようが、たとえ自分の肉体を破壊する者でさえも、その者とも一切不調和を起こさなかった。
なぜかと言うと、永遠に生きるもののためには不調和であってはならないからです。彼がもし不調和を起こしたとすると、永遠の命は得なかっただろうと。
バプテスマのヨハネは死んだんですよ。永遠に生きるものとはならなかった。そうすると、バプテスマのヨハネは永遠なる愛を持っていたか、いかなかったかということです。
おそらく牢獄に入っていたときに大変な憎しみを持っていたと思います。であるがゆえに永遠の生命を得なかったんですね。
で、バプテスマのヨハネは何回も、この地上界にその後も再臨しております。日本にも一度再臨しておりますよ。あまり古い話ではありません。
なぜかと言うと、自分を牢獄に入れたものを憎み、怒り狂ったんです。で、死の恐怖感を持っていたんです。本当の悟りにまでは至らなかった。
確かに大変な博識を持っていた、大変な勉強家だった。学問好きだったんですね。色々の真理に対する知識は大変なものを持っていましたけども、実際には永遠の生命を把握してなかったんですね。
2019年09月09日
B230 信仰について
1:30 心霊治療を受ける場合に、治る人と治らない人がいるのは、治療家にももちろん信仰の強さと愛の強さというのが差がありますけども、受ける側に非常に責任があります。
皆さん方が本当に神の癒やしに、自分の魂が神に全開したとき、治療家というのも必要ないんです。神の癒やしの力を自ら魂に注ぎ入れるからです。
癒やされない病気というのは存在しないんです。本人がこうしたら治るもんか、ああしたら治るもんかと、治癒力のエネルギーを受け入れないんです。
お薬も信じることによって皆さんの病気は治るんです。こんなお薬を飲んで治るもんかという人は、お薬に力を与えませんので、自分の心が閉ざされていますので、お薬の効果はないわけです。
しかし、このお薬を飲んだら私の病気は治るんだと信仰した瞬時に、お薬の力を受け入れる扉が開かれるわけです。
それを受けたとき皆さんは健康になります。
皆さん方が本当に神の癒やしに、自分の魂が神に全開したとき、治療家というのも必要ないんです。神の癒やしの力を自ら魂に注ぎ入れるからです。
癒やされない病気というのは存在しないんです。本人がこうしたら治るもんか、ああしたら治るもんかと、治癒力のエネルギーを受け入れないんです。
お薬も信じることによって皆さんの病気は治るんです。こんなお薬を飲んで治るもんかという人は、お薬に力を与えませんので、自分の心が閉ざされていますので、お薬の効果はないわけです。
しかし、このお薬を飲んだら私の病気は治るんだと信仰した瞬時に、お薬の力を受け入れる扉が開かれるわけです。
それを受けたとき皆さんは健康になります。

