2022年04月09日

A - 297 仏陀とは何か ♦ 1992.07.03

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44:04
一番の今のキリスト教徒が誤解しているのは、
『私を信じるものは救われる』と言ったことに対してですね、現象我のイエス・キリストを信じちゃったんですよ。

イエス・キリストはこの姿形を、『私』と言ったんですか、この大霊のことを『私』と言ったんですか?
「大霊を信じるものは救われる」と言ったんですよ。

はっきり、聖書に書いてるんですよ。『我は血や肉、姿形に属する者に非ず、吾は霊なり』と書いてるんですよ。

なのにですね、現象の世界に生きている人間ですから、現象我の赤い髭のイエス・キリストを信じる者はと、誤解しちゃってるんですよ。
現象我・偽我を信じているんですよ。イエスの神我を見てないんですよ。イエスの神我は大霊ですよ。

じゃ、あなたの中に宿っているキリストと、Jesusの中に宿っている大霊とは別の大霊ですか?
2千年前にイエスという姿形をとって、その中に生きていた大霊と、今皆さんという姿形をとって、あなたの中に生きて働いている大霊とは別の大霊ですか? 同じですね。

じゃ、あなた方はイエス・キリストの前より実存したものであるということが言えますね。
だから、Jesus.Christは「吾はアブラハムの前からいた者である」と。あなた方は?

あなた方もアブラハムの前より実存していたものなんでしょ。大霊がどこで始まって、どこで終わるということはないわけですから…
いつどこで生まれて、いつどこで存在したということは、ないんですよ。原因なき原因ですからね。
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2021年12月24日

B - 287 全ては神 (神一元)   1989.06.02

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イエス様の信仰というのは、自分の身が十字架に掛けられようが、神への信頼・神への信仰というのを絶対に疑わなかった。
全世界の人が反対しようが、神への信頼をイエス様は絶対に崩さなかった。

だから、あの時十字架に掛けられる前に、裁判官の前に引きずりだされました。
あなたは神の子ですか?と言った時、「はい、そうです」と。
もし、あなたが神の子ではないと言えば、あなたを十字架に掛けることはありませんから、あなたの口から「私は神の子ではない」と言ってください、と言われたんです。

自分の肉の身を朽ち果てても、この身を引き裂かれても、あなたは自分が神であるという深い信仰を持ち合わすことが出来るんだろうか?ということです。
自信ありますか?
自信をもって、たとえこの身が朽ち果てようが、引き裂かれようが、この肉の身を守ろうとするのか、本来の自分への信頼が強いのか・・
それを皆さん方も今、試されているのじゃなかろうかと思います。

しかし、ペテロの信仰はどうだったんだろうか。
あなたもイエスとグループだ、一緒だと言われたときに、「いいえ、違います」と言われたんです。
鶏が鳴く前に3回も嘘をついた。
ペテロの信仰が本物だったんだろうか、イエスの信仰が本物だったんだろうか。

あなた方も絶対なる、内なるものに対して、生命に対して、神に対しての信頼を持っておられるんだろうか? それとも半信半疑なんだろうか…




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2020年09月14日

A260 生命

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イエス様が13の時に、戸籍調べの時に、アシュラムの方に集会所に行って、道に迷っていたわけですね。
その時にイエスは、11か..11の歳です。宗教の指導者達、パリサイ人の前で説教をしておられた。
そして、母のマリヤとヨセフはイエスを探して、道に迷っているということで、イエスを探し回るわけです。
その時、イエスはまだ11歳の若さでございましたけれども、その11歳の子供が宗教の指導者達を前にして、律法を説いているわけです。
その時、マリヤが『私はあなたが迷っていると思って、一生懸命探していたんだ』ということを探し求めた特、
イエス様は何と言ったかというと、「私が私の天の父なる神の家におることを知らないのかな」「私は一度も迷ったことがありません。」とイエスは11の時に言っておられます。

私が父のホームにいることを知らないのかなと言う意味を、その時、マリヤは理解できなかったんですね。
あなた方も、初めから久遠の中におることを忘れてはなりません。

だから、キリスト神我は一度も迷ったことはないんです。
神我が迷うということはない、キリストが迷うということはない。
我々の内なる命がキリストです。
キリストとは何かと言うと、神です。
だから、私の他にほかに神があってはならないと。あなたの命の他に、ほかに神があってはならないんです。
なぜ人間は一つなる神を、様々な神を作り上げるのかと。
あまりにも神を冒涜し、傍観し過ぎてますよ。
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2020年08月25日

A259 空は男性原理 色は女性原理(誘導瞑想)

26:13
私が今から10何年前かですか、イエスの愛のオーバーシャドーを受けたことがございます。
そのとき、愛は天と地の架け橋というテーマで、私が愛を自覚出来たときにイエス・キリストの愛のオーバーシャドーを受けたんですね。
で、オーバーシャドーを受けたとき、もう本人じゃなくなるわけですよ。本人の意識状態じゃなくなるんですね。
あの時の自分が愛を感じたのを、もう皆さんの五感の感化の想像を絶する愛を感じたんですね。

その愛は一度感じると、再び忘れることはない。
ちょうど、皆さん方が美味しい食べ物を食べたら、その味は二度と忘れないのと一緒なんですね。
食べたことがなければ、味は分からないんですけども、いったん宇宙の愛を食して受け入れたときは、再び忘れることはない。
いったん天国に入ってきたものは、再び追い出されることはない、というのはその意味なんです。
いったん神の大愛を実感出来た人が、外に追い出されることはありません。

29:16
愛を表現するのに、何か人に見せびらかす必要があるんですか。
そういうことを知らない人間は、衣装を変えたり、色々の洋服を付け方をしたりして、
あるいは自分はあたかももう神様になったんだと言って、髭をはやしたり髪を伸ばしたり、お洋服を赤や黄色をつけたりして、自分を見て下さい、偉いんだよ、神様の生まれ変わりだよと言って来るのは本物?

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2020年07月16日

A256 真我は宇宙

8:10
イエスの着けていた衣は境目、縫い目がございましたか?
縫い目がないということは、分離がない、一体感、全一体感という意味でございますね。
境目がない、区切りがないという意味でございます。
それをローマの兵士達は引きちぎって弄んだ。
即ち今の人類は国境を作って、一つのものをちぎって弄んでいるようなもの。あなたという個人を引きちぎって、あなた、私のものだと思い込んでいるようなもの。
その境目がなくなったとき、縫い目がなくなったとき、分離感がなくなったとき、そこに縫い目や境目や国境が存在しますか?
しませんね。

あなた方は分離感をもっているということは、大いなる神の衣を引きちぎって弄んでいるようなものなんだということを知らねばなりません。
その衣にさえも、イエス様は象徴的に現象を現されたわけですね。
私達の洋服は縫い目だらけですね。即ち、私達の心は縫い目だらけなんです。分離感を持っている。国境を持っている。小さなものにして、ちぎった一切れにしてしまっている。

本来はちぎられた、区切られた生命というのは存在しないのでございますけれど、あなたが勝手に、あなたの独自の小さな生命と引きちぎっているのじゃないでしょうか。
もしそうなら、あなた方はあのローマの兵士のようなものであると、いうことです。
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2020年02月04日

A244 生命は光 肉体は闇 何ぜ

1:06:35
今世紀末に多くの人々がこれを理解して、自己解放をするだろうと。
本当は、イエスキリストは道を開いてくれたんですけれども、道を閉ざしたのは今のキリスト教徒ですから、また新たに道を開けねばならなかったわけですよ。
しかし、今時期的に多くの人が理解できる時がやって参りますので、今開かれた道は閉ざされることはないだろうと。

イエスキリストの時代は、僅かの何人かが道を知っただけだったんです。イエスの12の弟子でさえも、イエスが十字架にかかって復活するまで、その道を知らなかった。
生命が永遠であり、久遠であるということを知らなかったがゆえに、イエスは復活して生命の永遠性を現象化して、現して見せてくれたわけです。
そして、手の傷跡や足の傷跡を触ってみて、あ、命は永遠であるということは事実なんだな、ということを示されたわけです。

イエスキリストは33才で十字架にかかっていますけども、復活後シリアに渡られて85才まで肉を保っておられました。
その後、ヒマラヤに上がられまして、現在ヒマラヤの方で大聖者として、指導者として存在しておられます。
彼の肉体は完全に霊化された肉体、マイルーパと言いまして、彼の肉体は自由自在に物質化することも、非物質化することも、半物質化することも、自在です。
そういう偉大なる大師であり、霊的指導者であられるキリストを尊敬していかなければなりません。
しかし、その道を閉ざしたのは、イエスの弟子と自称するキリスト教によって、その道は閉ざされてしまったんです。彼の現象我を追いまくったからです。


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