2020年01月13日

A241 罪

2:00
私達は、犯した罪は必ず自らに返るということを知らねばなりません。まいた種は必ず刈り取る。作用と反作用の法則というのがございまして、犯した罪で自分の負債にならないもの、また自分自身に返らないものは何一つございません。
これが、我々の自由を奪うわけです。だから、罪そのものが不自由という、我々の自由性を奪っているわけです。
自由自在というのは、罪を犯さない人のことです。

この世限りで我々が払えない罪の報いは、必ず来世に回されます。それをカルマの法則と言っています。
我々の日常生活に現れてくるのは、みんな罪の負債なんです。
今、病気で苦しんでいる人も、過去世に犯した罪の負債を払わされているんですね。病体となって、あるいは精神的苦しみとなって。
それは、全部自分から出たものの罪の現れなんです。必ず今生、犯したものが、今生現れるとは限らないんです。

今、真理を学んで、一生懸命、真面目にやっていても、過去に罪を犯していれば、学んでいる状態に相反するものが現れるわけです。
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2019年12月16日

A241 罪

6:30
罪というのは厄介で、犯した罪が一でしたら、三という報いを受けると。報いは三倍と、あるいは四倍かもしれない。
それは、利子がついてくるんです。お金でも必ず利子が加算してまいりますね。

11:23
なぜ私は、この年になるまで結婚が出来ないんだろうと、思ってますけども、それも過去に原因があります。
結婚したくないという、独身の方がいいんだと思いがあったり、また結婚して散々不幸な結婚生活をしたとき、独身であった方がいいとか、独身を羨ましがったりすると、今生は結婚も出来ないで独身で世を終わるという人もおるわけです。

12:50
罪のない人は、この世に生まれてまいりません。
それを解脱と言いまして、報いる罪がなければ、我々はこの世に生まれてないんです。
この地上界は罪人の集団。地獄と言いまして、監獄のようなものです。
真我は罪を知らない自分ですから、罪の刈り取りをするところが、この地上界です。
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2019年12月10日

A241 罪

0:25
罪を犯すということは、罪は一つの負債となって、犯したものは必ず報いるという、、
皆さん方は、金銭的な負債を負債と思っておりますけども、罪も全て我々の負債となります。
罪の積み重ねと言いまして、それは業(ごう)の深いものと言いまして、罪とは即ち業ですね。
私達は罪を犯しながら、罪意識というのがないんです。
人の悪口を言うのも、嫉妬の心も罪でございます。人を非難したり、悪口を言ったり、馬鹿やろうと言うのも罪でございます。

その罪には言葉の罪・思いの罪・行いの罪という三業、三つの罪がございます。
その三つの罪を犯しているのは、最大の罪とは何かというと自我でございます。
我々が自我である限り、私達は罪そのものなんです。罪人そのものなんです。
だから、自我で救われた人間はいないと。
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2019年06月12日

A227 神我は調和 自我は不調和

苦しみというのは全て罪の結果、不調和の結果です。原因が調和なら、その結果も幸せでございます。だから、苦しみなんかございません。
神我は一度も苦しんだことはないんです。
なぜ、神我は不調和を起こさないかと言うと、全一体感と言いまして、自分と他人の一体感を知っていますからね。生命には区切られた生命はない。ただ一つの生命が様々な形を表していることを知っていますからね。

不調和な人間は罪そのものです。不調和を持ってる限りは自我を持っていると。自我に生きていると。
神我は全一体感ですから、大調和、大愛の世界です。そこには悩み苦しみというのはございません。
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自分があって、他人があると思いますと、どうしても利己的になります。そうしますと、どうしても分離感がございますと、自己中心的になりますと欲望というのが出て参ります。
欲望というのは自我にございます。神我には欲望はございません。
自他一体でございますから、他は即自分であり自分は即他でございますから、人に為してることは全部自分に為していることが分かりますので、欲望はございません。
得したとか損したというのは全て自我に属するものです。神我には損得はございません。それは生命の木を把握して頂ければと思います。
この者の生命とこの者の生命は同じ生命ですから、この者からこの者に与えたということは、他人に与えたのでなく自分自身に与えたことになります。
内側の生命の次元には、自分とか他人というのはないのです。だから、他人に為してることは全部自分に為しているのであると。
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2019年05月24日

B221 不動心とは何か

世の中は、まだまだ二心で生きています。
善の心もあれば、悪の心もあるという人は、まだ善悪の木の実を食べねばなりませんね。
それは、アダムとイブの最初の悪知恵と神の知恵と2つを、蛇に騙されて食べたのと一緒ですね。
それを食べて依頼、未だかつて人間はまだ善悪の木の実を食べてますね。
善悪の心があるんだと信じこんでますね。

心の悪い人のことを善霊と言うんですか?悪霊と言うんですか?
皆さん方、悪霊が怖いと言いますね。悪霊に取り憑かれてると。
あなたが誰かを憎んでいるとき、あなたは悪霊に取り憑かれてませんか?
悪い心に取り憑かれてますね。
じゃあ、憑依霊は誰が受けるんですか?誰が持ってくるの?
悪い心に支配された状態を憑依霊と。
いい心があなたを支配してるときは、神がかりですね。

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2018年07月01日

魂と罪の関係について    B160

あなたが、まず魂と罪の関係を理解する。
その罪と言うのは、魂にくっついている、私達の誤った想念行為の”ゴミ”のようなものであると。
魂と罪とは一体ではありません。鏡とゴミとは一体ではありません。落とせば落とせるわけです。磨けば磨かれるわけです。

私達の生きている意義と言うのは、その魂のゴミを落とすためにあるんですよ。魂にゴミをつけるために生きてるんじゃないんですよ。
ほとんどが、魂にゴミをつけるために生きてるような、思い方、行動をしてるんじゃありませんか。
恐ろしいことです。
そして、無間地獄、闇地獄へと、完全に鏡が見えなくなるまで、ゴミをつけてる人もいるんじゃありませんか。
それが、闇地獄と言うんです。一寸先も見えないような、真っ暗闇の次元に落とされて行きますね。その意識の段階です。

全部、私達の中に意識が、次元があるということを知らねばなりませんね。
全て、地獄を見るか、天界を見るかは、私達の手に委ねられています。
自由意思に基づいて、闇を体験するか、光を体験するか。それを体験するのは、あなた方自身なのです。
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