22:55
あなたの罪は誰が許せる? 神がですか、あなたがですか。
自分がしか許せないんですよ。
何ぜかと言うと、神は許しですから、初めから許されてるわけですよ。
あなたが愛の法則を犯した分だけ、あなたが報いるだけであって、神がその罪を許さないんですか、あなたが許さないんですか?
あなたが許さないんですよ。
だから、変ちくりんなものの考え方で、一週間は散々悪いことして、一週間に一回は「神様、私の罪を許してください」と祈ったところで、神はやる方法があるんでしょうか。
一歩出ると、またすぐ罪。そんな人間が繰り返し、繰り返し教会で祈ったところで、空念仏なんですよ。
そんな祈るぐらいだったら、罪を犯さなければいいんですよ。
犯さなければ、報いる罪はないわけですから、いつも幸せだということですよ。
だから、いかに幼稚な宗教をやってるかということですよ。
神様は不完全なあなたをお造りになってるんですか、完全なあなたをあなたにお与えになったんですか。
誰があなたを不完全にしてるの?
じゃ、誰があなたを完全にするの?
2020年05月22日
2020年01月13日
A241 罪
2:00
私達は、犯した罪は必ず自らに返るということを知らねばなりません。まいた種は必ず刈り取る。作用と反作用の法則というのがございまして、犯した罪で自分の負債にならないもの、また自分自身に返らないものは何一つございません。
これが、我々の自由を奪うわけです。だから、罪そのものが不自由という、我々の自由性を奪っているわけです。
自由自在というのは、罪を犯さない人のことです。
この世限りで我々が払えない罪の報いは、必ず来世に回されます。それをカルマの法則と言っています。
我々の日常生活に現れてくるのは、みんな罪の負債なんです。
今、病気で苦しんでいる人も、過去世に犯した罪の負債を払わされているんですね。病体となって、あるいは精神的苦しみとなって。
それは、全部自分から出たものの罪の現れなんです。必ず今生、犯したものが、今生現れるとは限らないんです。
今、真理を学んで、一生懸命、真面目にやっていても、過去に罪を犯していれば、学んでいる状態に相反するものが現れるわけです。
私達は、犯した罪は必ず自らに返るということを知らねばなりません。まいた種は必ず刈り取る。作用と反作用の法則というのがございまして、犯した罪で自分の負債にならないもの、また自分自身に返らないものは何一つございません。
これが、我々の自由を奪うわけです。だから、罪そのものが不自由という、我々の自由性を奪っているわけです。
自由自在というのは、罪を犯さない人のことです。
この世限りで我々が払えない罪の報いは、必ず来世に回されます。それをカルマの法則と言っています。
我々の日常生活に現れてくるのは、みんな罪の負債なんです。
今、病気で苦しんでいる人も、過去世に犯した罪の負債を払わされているんですね。病体となって、あるいは精神的苦しみとなって。
それは、全部自分から出たものの罪の現れなんです。必ず今生、犯したものが、今生現れるとは限らないんです。
今、真理を学んで、一生懸命、真面目にやっていても、過去に罪を犯していれば、学んでいる状態に相反するものが現れるわけです。
2019年12月16日
A241 罪
6:30
罪というのは厄介で、犯した罪が一でしたら、三という報いを受けると。報いは三倍と、あるいは四倍かもしれない。
それは、利子がついてくるんです。お金でも必ず利子が加算してまいりますね。
11:23
なぜ私は、この年になるまで結婚が出来ないんだろうと、思ってますけども、それも過去に原因があります。
結婚したくないという、独身の方がいいんだと思いがあったり、また結婚して散々不幸な結婚生活をしたとき、独身であった方がいいとか、独身を羨ましがったりすると、今生は結婚も出来ないで独身で世を終わるという人もおるわけです。
12:50
罪のない人は、この世に生まれてまいりません。
それを解脱と言いまして、報いる罪がなければ、我々はこの世に生まれてないんです。
この地上界は罪人の集団。地獄と言いまして、監獄のようなものです。
真我は罪を知らない自分ですから、罪の刈り取りをするところが、この地上界です。
罪というのは厄介で、犯した罪が一でしたら、三という報いを受けると。報いは三倍と、あるいは四倍かもしれない。
それは、利子がついてくるんです。お金でも必ず利子が加算してまいりますね。
11:23
なぜ私は、この年になるまで結婚が出来ないんだろうと、思ってますけども、それも過去に原因があります。
結婚したくないという、独身の方がいいんだと思いがあったり、また結婚して散々不幸な結婚生活をしたとき、独身であった方がいいとか、独身を羨ましがったりすると、今生は結婚も出来ないで独身で世を終わるという人もおるわけです。
12:50
罪のない人は、この世に生まれてまいりません。
それを解脱と言いまして、報いる罪がなければ、我々はこの世に生まれてないんです。
この地上界は罪人の集団。地獄と言いまして、監獄のようなものです。
真我は罪を知らない自分ですから、罪の刈り取りをするところが、この地上界です。
2019年12月10日
A241 罪
0:25
罪を犯すということは、罪は一つの負債となって、犯したものは必ず報いるという、、
皆さん方は、金銭的な負債を負債と思っておりますけども、罪も全て我々の負債となります。
罪の積み重ねと言いまして、それは業(ごう)の深いものと言いまして、罪とは即ち業ですね。
私達は罪を犯しながら、罪意識というのがないんです。
人の悪口を言うのも、嫉妬の心も罪でございます。人を非難したり、悪口を言ったり、馬鹿やろうと言うのも罪でございます。
その罪には言葉の罪・思いの罪・行いの罪という三業、三つの罪がございます。
その三つの罪を犯しているのは、最大の罪とは何かというと自我でございます。
我々が自我である限り、私達は罪そのものなんです。罪人そのものなんです。
だから、自我で救われた人間はいないと。
罪を犯すということは、罪は一つの負債となって、犯したものは必ず報いるという、、
皆さん方は、金銭的な負債を負債と思っておりますけども、罪も全て我々の負債となります。
罪の積み重ねと言いまして、それは業(ごう)の深いものと言いまして、罪とは即ち業ですね。
私達は罪を犯しながら、罪意識というのがないんです。
人の悪口を言うのも、嫉妬の心も罪でございます。人を非難したり、悪口を言ったり、馬鹿やろうと言うのも罪でございます。
その罪には言葉の罪・思いの罪・行いの罪という三業、三つの罪がございます。
その三つの罪を犯しているのは、最大の罪とは何かというと自我でございます。
我々が自我である限り、私達は罪そのものなんです。罪人そのものなんです。
だから、自我で救われた人間はいないと。
2019年06月30日
A230 自分を知らぬは最大の罪
0:00 迷い人は罪を犯しますけども、悟り人は罪を知りません。
私達が自分で自分を知らない限りは、罪の中に生きるわけです。これを、罪人と言っているのでございます。
罪とは何かと言いますと、己自身を知らぬことと。自分が何であるか解らぬ人は罪を犯します。
自分が何であるか知ってる人は罪を犯しませんので、罪が存在しない。
その罪というのを、またの名をカルマと呼んでいます。カルマとは、また自我とも呼んでいます。
自我がある限りは罪がございますので、カルマがございます。
カルマの刈り取りとは、自我の刈り取りです。
即ち罪の刈り取りです。
カルマの刈り取りと言いますけれど、犯した罪の報いるべきものです。
日常生活に現れることは、カルマの結果、罪の結果なんです。
カルマとは何かと言うと、即罪と思っていただければいいと思います。
その罪とは何かと申し上げますと、無知と呼んでいただければいいと思います。
無知なるものが罪を犯すのであって、知恵あるものは罪を犯しません。
無知とは己自身を知らないことを無知と言います。
だから、『真理を知らぬことが最大の罪』とイエスは言われたんですね。
真実を知らぬこと、神を知らぬことが最大の罪なんです。
世の中の人は神も知らないし、己自身も知らないのが大半ですね。
私達が自分で自分を知らない限りは、罪の中に生きるわけです。これを、罪人と言っているのでございます。
罪とは何かと言いますと、己自身を知らぬことと。自分が何であるか解らぬ人は罪を犯します。
自分が何であるか知ってる人は罪を犯しませんので、罪が存在しない。
その罪というのを、またの名をカルマと呼んでいます。カルマとは、また自我とも呼んでいます。
自我がある限りは罪がございますので、カルマがございます。
カルマの刈り取りとは、自我の刈り取りです。
即ち罪の刈り取りです。
カルマの刈り取りと言いますけれど、犯した罪の報いるべきものです。
日常生活に現れることは、カルマの結果、罪の結果なんです。
カルマとは何かと言うと、即罪と思っていただければいいと思います。
その罪とは何かと申し上げますと、無知と呼んでいただければいいと思います。
無知なるものが罪を犯すのであって、知恵あるものは罪を犯しません。
無知とは己自身を知らないことを無知と言います。
だから、『真理を知らぬことが最大の罪』とイエスは言われたんですね。
真実を知らぬこと、神を知らぬことが最大の罪なんです。
世の中の人は神も知らないし、己自身も知らないのが大半ですね。
2019年06月12日
A227 神我は調和 自我は不調和
苦しみというのは全て罪の結果、不調和の結果です。原因が調和なら、その結果も幸せでございます。だから、苦しみなんかございません。
神我は一度も苦しんだことはないんです。
なぜ、神我は不調和を起こさないかと言うと、全一体感と言いまして、自分と他人の一体感を知っていますからね。生命には区切られた生命はない。ただ一つの生命が様々な形を表していることを知っていますからね。
不調和な人間は罪そのものです。不調和を持ってる限りは自我を持っていると。自我に生きていると。
神我は全一体感ですから、大調和、大愛の世界です。そこには悩み苦しみというのはございません。

自分があって、他人があると思いますと、どうしても利己的になります。そうしますと、どうしても分離感がございますと、自己中心的になりますと欲望というのが出て参ります。
欲望というのは自我にございます。神我には欲望はございません。
自他一体でございますから、他は即自分であり自分は即他でございますから、人に為してることは全部自分に為していることが分かりますので、欲望はございません。
得したとか損したというのは全て自我に属するものです。神我には損得はございません。それは生命の木を把握して頂ければと思います。
この者の生命とこの者の生命は同じ生命ですから、この者からこの者に与えたということは、他人に与えたのでなく自分自身に与えたことになります。
内側の生命の次元には、自分とか他人というのはないのです。だから、他人に為してることは全部自分に為しているのであると。
神我は一度も苦しんだことはないんです。
なぜ、神我は不調和を起こさないかと言うと、全一体感と言いまして、自分と他人の一体感を知っていますからね。生命には区切られた生命はない。ただ一つの生命が様々な形を表していることを知っていますからね。
不調和な人間は罪そのものです。不調和を持ってる限りは自我を持っていると。自我に生きていると。
神我は全一体感ですから、大調和、大愛の世界です。そこには悩み苦しみというのはございません。
自分があって、他人があると思いますと、どうしても利己的になります。そうしますと、どうしても分離感がございますと、自己中心的になりますと欲望というのが出て参ります。
欲望というのは自我にございます。神我には欲望はございません。
自他一体でございますから、他は即自分であり自分は即他でございますから、人に為してることは全部自分に為していることが分かりますので、欲望はございません。
得したとか損したというのは全て自我に属するものです。神我には損得はございません。それは生命の木を把握して頂ければと思います。
この者の生命とこの者の生命は同じ生命ですから、この者からこの者に与えたということは、他人に与えたのでなく自分自身に与えたことになります。
内側の生命の次元には、自分とか他人というのはないのです。だから、他人に為してることは全部自分に為しているのであると。

