真理が見えると思いますか、見えないと思いますか?
見えません。
神が見えると思いますか、見えないと思いますか?
見えませんね。
神には姿かたちがないからです。
あなた方はどうしても見えるものに生きていて、
見えるものを本物だと思って、見えないものは偽物だと考えています。
今この知花を通して語ってる言葉は、ありますけれど、見えませんね。
見えないけれど、現実にありますね。
あなた方は見えないものを信じようとしないんです。
・・・すなわち神を信じないんです。
あなた方、命は見えますか?
2017年05月31日
2017年05月30日
真理は見えない B170
見えないものを信じないものは、賢者ですか? 愚か者ですか?
物質主義者は偉い人ですか、偉くない人ですか。
見えるものだけを信じて、見えないものを信じない人を無神論者と言います。物質主義者、唯物論。
私達には、見える自分と、見えない自分があります。
命は見えない自分。
肉体は見える自分。どちらが本物ですか?
命は見えませんよね。どんなに医学や化学が進もうと、命は見えない。
しかし、命は実存するんです。
その命を解らない、理解しないで、ただ命の影、その肉に生きている人がほとんどです。
そういう人間を、無知、迷いと言います。
迷いとは偽物の自分と本物の自分を取り違えている人です。
物質主義者は偉い人ですか、偉くない人ですか。
見えるものだけを信じて、見えないものを信じない人を無神論者と言います。物質主義者、唯物論。
私達には、見える自分と、見えない自分があります。
命は見えない自分。
肉体は見える自分。どちらが本物ですか?
命は見えませんよね。どんなに医学や化学が進もうと、命は見えない。
しかし、命は実存するんです。
その命を解らない、理解しないで、ただ命の影、その肉に生きている人がほとんどです。
そういう人間を、無知、迷いと言います。
迷いとは偽物の自分と本物の自分を取り違えている人です。
2017年04月01日
真実の自分と現実の自分 B162
現実は見えますけれど、真実は見えない。すなわち不可視と可視です。
見えるものはすべて現実でございます。現象・幻影です。そのほかの何ものでもないんですね。
現象幻影に取り憑いて、取り憑かれて、その背後にある実在するものを忘れています。・・
2017年03月11日
真実の自分と現実の自分 B162
現実に生きている人間はみんな消極的人間です。見えるものはみんな消極ですから、消える局面ですから消極です。
この世の中に積極的な人間はいないんです。消えるものを見て、消えるものにすがみついて、すがみつかれています。
皆さん方は現実的なもので、様々な悩み苦しみを作り上げています。これが実在するものと思っているからです。
「現実を見ている人間には真実が見えないんです。」
なぜかと言うと真実なるものは見えないもので、現実なるものは見えるものであるからです。
実際にあるのは見えないものです。見えないものが実在してるのであって、見えるものは実在してないんですね。
この世の中に積極的な人間はいないんです。消えるものを見て、消えるものにすがみついて、すがみつかれています。
皆さん方は現実的なもので、様々な悩み苦しみを作り上げています。これが実在するものと思っているからです。
「現実を見ている人間には真実が見えないんです。」
なぜかと言うと真実なるものは見えないもので、現実なるものは見えるものであるからです。
実際にあるのは見えないものです。見えないものが実在してるのであって、見えるものは実在してないんですね。
2017年02月28日
無我 B161
・・・そのとき、せっかくの過去において克服したものが水の泡となって、また何転生も彼はカルマを背負ってこの世を彷徨うだろう。
それを中国の言葉にあるように、久米の仙人のように色という見えるものに溺れてしまった。それを今体験しておるものもおるのでございます。
皆さん方も、色というものに溺れていますけれども、これから、もがきもがいてそれを克服、すべてを捨てきって、この世の物を捨てるというのは、この世の物は実在でないということを悟る。真実なるものは目に見えないものであった。霊的なものこそ真実であったということを知ることです。
なるほど、見えないものなくしては見えるものは存在しないんだな。見える世界は見えない世界の反映なんだなということを悟ることによって、この世の色という欲望をすべて放棄することができる。
それができたとき、私たちはこの見える世界の妨げを受けない、この見えるものによって影響受けない。悩み苦しみを作ることはない。
それがはっきり意識の世界で確立できたとき、皆さんの心は平安とやすらぎに満たされるんです。
無我、無私になったとき、それを体験できるんです。
それを中国の言葉にあるように、久米の仙人のように色という見えるものに溺れてしまった。それを今体験しておるものもおるのでございます。
皆さん方も、色というものに溺れていますけれども、これから、もがきもがいてそれを克服、すべてを捨てきって、この世の物を捨てるというのは、この世の物は実在でないということを悟る。真実なるものは目に見えないものであった。霊的なものこそ真実であったということを知ることです。
なるほど、見えないものなくしては見えるものは存在しないんだな。見える世界は見えない世界の反映なんだなということを悟ることによって、この世の色という欲望をすべて放棄することができる。
それができたとき、私たちはこの見える世界の妨げを受けない、この見えるものによって影響受けない。悩み苦しみを作ることはない。
それがはっきり意識の世界で確立できたとき、皆さんの心は平安とやすらぎに満たされるんです。
無我、無私になったとき、それを体験できるんです。
2015年10月14日
真我と自我は裏表
だから、21世紀後半からは、自分は普遍だ無限だと知っているものが大半です。この形と見えないものは不可分だと、決して切り離しては存在できないと、宇宙観をもっているものがどんどん出てくるんですね。
しかし、今は形の世界でしか物を見ないめくらしかいません。めくらとは見える物だけみて、見えないものを見ないものを、めくら人と言うんです。これを無知、迷いと言うんですね。偽物の自分だけを見て生涯を終わるものを盲目の人生。宇宙を自分だと見てないんですね。
しかし、今は形の世界でしか物を見ないめくらしかいません。めくらとは見える物だけみて、見えないものを見ないものを、めくら人と言うんです。これを無知、迷いと言うんですね。偽物の自分だけを見て生涯を終わるものを盲目の人生。宇宙を自分だと見てないんですね。

