2021年05月31日

B274 憶念と外念

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憶念とは何かと言いますと、”神我意識”なんです。
内を意識した状態は、神我意識ですね。
私達が外を意識して生きた状態を、自我・偽我と言うんですね。それを、雑念とか、邪念とか、外念と言われてるんですね。

皆さん方は本当に、日常生活を外念で生きているのか、憶念で生きているのか。
お釈迦様は「外を見るな、内を見よ」と言ったんですね。
しかし、内を見て、内観して生きている人はいなくて、外観で生きているんですね。
外念と言うのは、外側の意識、表面意識。憶念とは、内在意識、即ち神意識。霊意識と言われてるものなんですね。

こういうことが言えます。ここに海があったとしますと、氷河がございます。
我々は、外に出ている部分を意識して生きている。ここは、潜在意識と言いまして、あるいは潜伏意識、超意識、神意識とか言われているわけです。
表面意識と潜在意識は、離れて存在することは出来ないんです。外なる意識と内なる意識は、離れて存在することは出来ない。
外に現れてる氷河・氷は、内なるものの結果にしか過ぎない。
しかし、私達は外念を持ってますので、外側だけを意識して生きているんですね、見える部分を。
ここは潜在ですから、見えない部分ですね。

内側を意識することを、憶念と言うんです。外側を意識している、表面意識のことを、外念と言うんです。
ほとんどの人は、この目で見える、耳で聞くことのできる、匂いで嗅ぐことのできる、味覚、そして手で触る感覚と、五感と。五感に頼っているんです。
だから、いかに小さなものであるかということが解るんですね。

私達は外念があるかぎり、人間と言います。憶念したとき、人間というのは存在しないんです。
しますでしょうか?、内を見ました時。
内観を出来た人は、自分のことを人間と言うでしょうか?
「私は人間です」と言うのは、外念でしょうか、憶念でしょうか? 外念ですね。

人間なんか存在しないんです、本来は。
外を見るから人間があるのであって、内を見ましたとき何があるかと? 神があるだけなんです。

だから、外を見れば人間ですけれども、内を憶念したとき、『我、神なり』となるんです。
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2016年12月09日

完全と不完全   B154

外だけ表面だけ意識しているものは不完全、内につねに生きているものは完全な人間。
あくまでも我々の主なる自分は内なる自己、生命の自己。生命は一切の主です、完全です。
生命は無限であり久遠であります。そして我々も生命ですから、われわれも無限であり久遠であるということです。そして完全です。
そのことを常に日々の生活の中で、内なる自己、完全の自己を見つめる、凝視する、意識すること、そこに一心を集中する、
「私は血や肉に属するものにあらず」と「我は霊なり生命なり」と「吾は完全なり」と。
瞑想とか内観というのは真の自己を見つめる、神我を見つめることです。
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2016年11月07日

人間は何ぜ病気になるか   A162

内は霊界、外は肉体です。皆さん方は外しか見ませんので、内に何が宿っているか解らないんですね。
皆さん方の肉体の中には必ず霊的なものが宿っています。
その内なる我を”霊的我”と言っているし、外なる我を”肉的我”と言っているわけです。霊的我と肉的我は一つであり、一体であります。この霊肉のバランスがとれた人は絶対に病気になりません。

皆さん方は自分が”霊”であるという霊的自覚ができていますか?
大概の人は、「自分は人間です、肉体です」と言うんです。だから死ぬんです。病気になるんですね。
あなたは肉体ですか、霊ですか? → これを霊的自覚というんですね。
霊は力であり、生命エネルギーです。
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2016年08月25日

内は神 外は人間

だから、あえてこの清里にまで来る必要もないんです。それができてない人のアドバイスをするところが清里であって、その自覚ができましても来る必要はありますか?
アドバイスは大切かもしれないけど、皆さん方の中に神がおることだけは絶対にお忘れにならないこと。神、我が中にましますと常に言ったらよかろう。あなた方が人間と言ってるのは、外を見るからであると。
人になしてることは全部自分になしてることであると。

サイババ先生の料理人がお食事を準備しました。そうすると犬がきて食べちゃった。料理人は新しい食事を作らなくちゃならないので、犬を散々叩いたんです。その時サイババ先生が食事に参りました。「あんたは私が食べようとしたら私を叩いたからもう要りません」と言ったんですね。
犬も神であり、サイババ先生も神であり、犬も神の化身であり、サイババ先生も神の化身であり、内を見れば犬であろうが何であろうが、全て神であることを見ておられるわけです。
サイババ先生の肉体のなかに宿っている神と、皆さんの中に宿っている神と違う神ですか?一つの神しかおりませんよ。
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2016年08月16日

内は神 外は人間

厳しいようだけどそれを乗り越えなければならない。それは理解でもって乗り越えなければならない。その壁を乗り越えた時、ベール、皆さんの目から鱗が落ちる。鱗が落ちた時、仮想と実相の識別ができる。この世は仮相だ、内側は実相だということがはっきり理解ができる。
実相が見えないで、あれが神だこれが神だと説くものは偽物の指導者です。自分の中に神がおることを知ってるものが神棚を作らせますか。天に神がおると言うと思いますか? 本当に神の見える人であるならば、銘々の中に神はおられると言うであろうと。
インドのサイババ先生は神は別々に存在してると言ってます? 次の来世、産まれて来るときは全てが神であることを説くだろうと言われていますよ。唯一神の結果ですよ、皆さんは。内を見ることによって全てが神であると見れますよ。あなたが死ぬまで旅して外に神を求めても見つからないだろう。なぜなら、皆さんの内に神はおるからである。
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2016年08月13日

内は神 外は人間

御釈迦様は自分の弟子にするためには、内観のできた人だけを弟子にした。弟子になる前に一週間内観してきなさいと言って、内観ができた時、釈迦の弟子としてパスした。
原因が見えるようになって、内が見えるようになって目あきなんですよ。外を見てるうちは目くらです。内は実相です。外は仮相世界です。
瞑想が危険だというのは、内を見なさいと言うとまた姿形をみようとする。物質界にある姿形と幽界にある姿形と同じ仮相じゃありませんか。結果を見てるのであって実相じゃありません。実相は無形無双の大霊ですから、形は全て幻です。
人間と神と何が違うんですか? 違いは外を見れば人間、内を見れば神というだけなんです。あなた方は外を見るが故に人間と思っているだけなんです。
御釈迦様が正しく見ると言ったのは、原因、内を見ることです。正しく思うということは、吾神なりと思うことです。
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