02;26
造られた物と、造り主は一体と。肉体は造られた物です。生命は造り主です。この木の葉も造られた物です。木の葉の生命は造り主です。
造り主である生命が、造られた物の中に必ず留まっているということなんですね。
だから、造られた物と造り主は不可分。表裏一体と言いまして、私達のこの肉体と言うのは、命によって造られた命の住み家。即ち、その命が神ですから、神によって造られた神の住み家。
じゃ、人間っていったい何だろうかと? 神の化身と、命の化身だということです。命が人間という姿形をとっている。
命が山という姿形をとっている。これを、皆さん方、山の生命と言われてますね。あるいは、水の生命とか。
この世に生命を宿さぬもの、神を宿さぬものというのは一物も存在しない。だから、全てに神を見ることができる。何を見ても、あーっこれも神の化身だ、あれも神の化身だ。この世の中に、命の仮の姿でないものが一物とてあるでしょうか? ありませんね。
鉱物、植物、動物は命によって成れりなんです。命がなければ、鉱物も植物も動物も人間も存在いたしません。だから、命である神は全存在の本原であると。絶対なるものであると。
いつまでも私達は外を見て、あれだ、これだと、分離感をもっておりますけども、内側を見ますと分離感というのはございません。唯一の生命、唯一の霊、唯一の神がおられるだけです。だから、外を見るな、内を見よと言ったんですね。
我が生命と、皆さんの生命とは違うのでしょうか? 宇宙にはたった一つの無限生命という、宇宙生命という、大生命という、唯一の生命が存在していますね。これを全き神と、全き生命と呼ぶんです。全きと言うのは、全ては一つという意味なんです。唯一の生命とは、宇宙にはたった一つの生命しか存在しませんよということなんですね。
だから、皆さん方は生命の世界から物を見ますと、全体が一つということが解る。全体が一つであることが解れば、他人というものがない。自他一体感と言いまして、全一体感と言いまして、だから、隣人の命と、我が命と違う命ではないと。
ちょうど、ここに木の葉がございますけれども、この木の葉の一枚一枚が別々の生命を持っているのじゃなくて、この木の葉一枚は全体としての生命を持っているんです。
だから、あなた一人も個人の生命というものが、区切られた生命が存在してるんじゃなくて、全体としての生命を持っています。これを、全一の生命と言うんですね。
だから、皆さんの命は小さい存在ではなくて、大きい存在。だから、生命なる我のことを大我と呼んでいる。だから、内側は大我で外側を見れば小我です。内側を見ますと全我ですけれども、外側を見ますと個我なんです。
で、個我は全我から離れることは出来ないんです。この木の葉一枚は全体から絶対に不可分で、離れることは出来ないんです。
だから、あなた一人は独立して、全体から独立してる存在だと思っているならば、外側で物を見るからなんです。内側から見ますと他人というのがないんです。この木の葉一枚からすれば、全体は誰になります? 自分なんですね。
そのことを、正しく見るという意味なんですね。
で、私達は分離感で、あの者、この者と。自分の他に誰かがいると思っているんです。隣人は誰になりましょうか?私達からすれば。自分なんです。
2021年07月12日
2021年02月08日
A268 時空意識の克服
8;03

生命には分離も区切りもないということは何を意味するかというと、この木の葉一枚という独立した生命は存在してないんです。
この木の葉一枚の生命は、全体の生命として存在してるんです。
だから、この木の葉一枚に全体がおるということになります。
そして、この木の葉一枚の生命は全体におるし、全体の生命は一枚の中におると。
だから、これは個我であると同時に全我なんです。
この知花という命は、宇宙に遍満する命・宇宙生命との境目、区切り、障壁なるものはないんです。
そこには何があるかと言うと、一つの生命、大生命という、
だから、あなたの生命が普遍生命であることを、まず理解すること。
全ての万象万物は一つの生命に基づいて、生き、生かされているわけです。
だから、わが生命というのはないんです。個人的生命というのはないんです。
その生命は全宇宙に、空の世界にも、色の世界にも、形あるものの中にも、形なきものの中にも、遍満してますよね。
遍満してるものの中に、どうして距離や空間がありましょうか、ということなんです。
生命の存在しないところはない、ということになります。だから、無限生命になるわけです。
生命には分離も区切りもないということは何を意味するかというと、この木の葉一枚という独立した生命は存在してないんです。
この木の葉一枚の生命は、全体の生命として存在してるんです。
だから、この木の葉一枚に全体がおるということになります。
そして、この木の葉一枚の生命は全体におるし、全体の生命は一枚の中におると。
だから、これは個我であると同時に全我なんです。
この知花という命は、宇宙に遍満する命・宇宙生命との境目、区切り、障壁なるものはないんです。
そこには何があるかと言うと、一つの生命、大生命という、
だから、あなたの生命が普遍生命であることを、まず理解すること。
全ての万象万物は一つの生命に基づいて、生き、生かされているわけです。
だから、わが生命というのはないんです。個人的生命というのはないんです。
その生命は全宇宙に、空の世界にも、色の世界にも、形あるものの中にも、形なきものの中にも、遍満してますよね。
遍満してるものの中に、どうして距離や空間がありましょうか、ということなんです。
生命の存在しないところはない、ということになります。だから、無限生命になるわけです。
2019年08月15日
A233 忍耐
大霊と一体と言ったら、面白いことに自分と大霊は別だという意識が起こりますので、一番大事なことは「そのものなんだ」という意識が大切ですね。
神と自分は一体だと言うと、自分もあって神もおるような2つあるような気がしますので、神そのものなんだという意識が非常に大切だと思いますね。
実際に神そのものであり、大霊そのものなんですからね。
一心集注そのものが、深い瞑想状態なんですね。すなわち雑念がないということは、神以外のこと考えない、神以外のこと絶対に見ないという状態なんですね。
そうしたとき、慣れてきたとき数秒間にそういう状態になりまして、神以外に見ていないし考えてないですね。
宇宙に遍満する大霊のみを見続ける、思い続ける、これが非常に大切な忍耐強く私達の為さねばならない問題だと思いますね。
神と自分は一体だと言うと、自分もあって神もおるような2つあるような気がしますので、神そのものなんだという意識が非常に大切だと思いますね。
実際に神そのものであり、大霊そのものなんですからね。
一心集注そのものが、深い瞑想状態なんですね。すなわち雑念がないということは、神以外のこと考えない、神以外のこと絶対に見ないという状態なんですね。
そうしたとき、慣れてきたとき数秒間にそういう状態になりまして、神以外に見ていないし考えてないですね。
宇宙に遍満する大霊のみを見続ける、思い続ける、これが非常に大切な忍耐強く私達の為さねばならない問題だと思いますね。
2019年06月05日
A227 神我は調和 自我は不調和
私達は普通、分離感というのがございまして、自分と他人という分離感をもっておりまして、利己的になったり不調和をおこしたりしてますけれども、これは自我でございまして、
人の悪口を言ったり憎んだり、謗ったり嫉妬をしたりしてるのは、みんな自我でございます。
自我ということは、即(そく)罪でございます。罪ということは即苦しみでございます。不幸・災難というのは罪の結果でございまして、我々は自我で生きるかぎりは不幸・災難はやむを得ないものであるということですね。
皆さん方が、なぜ人との不調和をおこすかというと、自分と他人との関係を知らないからでございます。
神我は一体関係と言いまして、自分と他人というのがございません。自他一体感、全一体感という、生命においてはいかなる分離もないと。
生命の次元には他人というのがございません。
外側の肉の次元で自他がございまして、そこでものを見聞きするから、人を憎んだり、悪口を言ったり、謗ったりして不調和というのをおこすわけです。
人の悪口を言ったり憎んだり、謗ったり嫉妬をしたりしてるのは、みんな自我でございます。
自我ということは、即(そく)罪でございます。罪ということは即苦しみでございます。不幸・災難というのは罪の結果でございまして、我々は自我で生きるかぎりは不幸・災難はやむを得ないものであるということですね。
皆さん方が、なぜ人との不調和をおこすかというと、自分と他人との関係を知らないからでございます。
神我は一体関係と言いまして、自分と他人というのがございません。自他一体感、全一体感という、生命においてはいかなる分離もないと。
生命の次元には他人というのがございません。
外側の肉の次元で自他がございまして、そこでものを見聞きするから、人を憎んだり、悪口を言ったり、謗ったりして不調和というのをおこすわけです。
2019年06月01日
A228 生命とは何か
命の世界から見れば、あなた/私は存在するんですか?
あなたは即私、私は即あなたとなりませんか?
じゃあ、誰を傷つけましょうかと。他を傷つけることは己を傷つけることであり、全体を傷つけることになりませんか?
一人だけの問題ってあるんですか。全体の問題ですか。一人は全体ですから、一人の問題は全体の問題ですよと。
私だけの問題だと、アホなことを言わないで下さい。私だけが責任とればいいということ出来るんですか。

例えば、この木の葉が悪いことしたら、この木の葉だけの問題ですか、全体の問題ですか?
逆も真なりで、あなたが霊的に成長して拡大していくと、あなただけが影響及ぶんですか、全体に影響及ぶんですか? 良くなったら。
あなたが良くなることは、全体が良くなることですね。あなただけの問題なんてないわけですから。
そうすると、周囲を高めよう高めようとするより、自分を高めることが周囲を高めることであり、自分を良くすることは周囲を良くすることであると。解りますね。
あなた方は自分を高めようとしないで、周囲を高めようとする。できますか?
あなたは個人的ですか、全体者ですか。あなたが良くなれば、ほっておっても周囲は良くなりますね。
あなたは即私、私は即あなたとなりませんか?
じゃあ、誰を傷つけましょうかと。他を傷つけることは己を傷つけることであり、全体を傷つけることになりませんか?
一人だけの問題ってあるんですか。全体の問題ですか。一人は全体ですから、一人の問題は全体の問題ですよと。
私だけの問題だと、アホなことを言わないで下さい。私だけが責任とればいいということ出来るんですか。
例えば、この木の葉が悪いことしたら、この木の葉だけの問題ですか、全体の問題ですか?
逆も真なりで、あなたが霊的に成長して拡大していくと、あなただけが影響及ぶんですか、全体に影響及ぶんですか? 良くなったら。
あなたが良くなることは、全体が良くなることですね。あなただけの問題なんてないわけですから。
そうすると、周囲を高めよう高めようとするより、自分を高めることが周囲を高めることであり、自分を良くすることは周囲を良くすることであると。解りますね。
あなた方は自分を高めようとしないで、周囲を高めようとする。できますか?
あなたは個人的ですか、全体者ですか。あなたが良くなれば、ほっておっても周囲は良くなりますね。

