0:00
原点は見えない。すべての原点は生命・御霊・霊。
観点は見えるもの。観点の我は、姿形。
観念は自我。
原点は真我。神
観点は自我。
イエスキリストは原点で物を見ていた。
皆さんは観点・接点で物を見ている。
10:00
お釈迦様は我は宇宙なりと言われた。
原点に返ることが、神に帰る。天に帰る。
原点は我が内にあり。
イエス様もお釈迦様も原点に返られた。
人間は一様しかいない。
様々な人間がいるのでない。
20:00
あなたが井の中の蛙を語る資格はない。
あなたが、蛙そのもの。
観点で思ってることに正しいことはない。
原点に議論や対立はない。同じもの。
25:00
観点では、私はこう思う、ああ思う。
原点は一つの見方。
観念の世界には敵がいる。
原点の世界に敵はいない。一つしかない。
30:00
神とは実在。広大なもの、大海原。
大生命
観点で見れば、コップ
原点で見れば、ガラス
ドグマ宗教、観念宗教。
神まがいの神。
こんなに詳しく解りやすく聞いたことある?
まれなこと
原点を知ったら人に教えることできる。
はっきり知ったら、道を示すことができる。
外を見れば形、観点。
内を見れば生命、原点。
生命は全存在の本源。
創られたものと創り主は一つ。
40:00
宗教は大きな罪。偽りの指導者。
イエスキリストは言った
見て信じるよりも、見ないで信じる者は幸い。
奇跡で人集めはしない。救いにならない。
2千年前に大衆が奇跡を見に行った。
イエスキリストは一切れのパンと魚から5千名に満腹食べさせた。
生命のパンを与えたかったけれども、奇跡を望んで生命のパンを望んでなかった。
その時、イエスの心は曇った。悲しまれた
45:00
生命より語るには、生命の自覚がなければならない。
声天より来たれり。御言葉。
永遠の富を得ないで、朽ち果てる富のためにアセコセしてる。
物欲・色欲を捨てなさい。
見ると欲望がでる。
あれも欲しい、これも欲しい…
50:00
意識の目・心の目で見る。
肉眼で見るのは、観点。
見える世界の話し合いは非真実。
仮説。幻
生命なる吾は過去に非ず、未来に非ず
永遠なるものとしての生き方
55:00
答えは内なる生命に求める。
外なる我が、原因の我にご相談、自問自答する。
静寂になると、声なき声が聞こえる
知恵・力・光
叡智・仏智・直観
外から得たのは知識。
知花から聞いた知識を、知恵を掘り起こすショベルとして道具として使う。
霊的知識と物的知識
金儲けは物的知識、霊的な話は霊的知識。
視野の広い人は、原点から観点を見下ろす。
観点から原点は絶対に見えない。
60:00
原点から見下ろすと大海原。
幽界、天使の世界、物質界、三世を見通す。
知花は原因次元から物を見ている。
正しく見てなければ、正しく語ることもできない。
知花の教えは、あなた方一人一人、全てが生命だよという教え。
原点の教え。
三世を見通す・見下ろす力は皆さんが持ってる。これが霊的体験
真理は理屈ではない。本人が思い込んでる迷妄。
原点から見ると、意見が合わないというのはない。
原点から見てる人と観点から見てる人の意見は合わない。
65:00
意見が通らないと苛立ってくる。苛立ってくると憎しみに変わる
原点には苛立ちはない。平安の世界。
生命が中心。肉は中心ではない。
バランスが取れてない。
中心を生命とするとコマは十分に回る。
外側を中心とすると回らない。
生命は中。不動心
肉は外。落ち着かない人生。不安と恐怖。
2022年05月31日
2022年04月14日
A27 意識したところに自分は居る 1991.07.20
意識は一つ、個人意識か普遍意識か
色々の意識があるのでなく、色々の意識の仕方がある。宇宙には普遍意識・神意識という、たった一つの意識しかない。
表面意識とは表面を意識してる自分。内在意識とは内側を意識してる自分。
外を意識してる時は外におり、内側を意識してる時は私達は内側におる。
普遍的自分とは、自分が普遍的で宇宙に遍満する普遍的なものであると、じーっと意識してる時は、実際に自分は普遍的なんです。
自分は個人だ人間だと思ってる時は、皆さんは人間世界におりますし、自分は大霊そのものだと思って意識している時は、大霊の世界におります。大霊の世界におることも、地上界におることも出来る。出入りが自由です。これを観自在・無碍自在と言います。
私達は目が覚めますと、どうしても3次元という表面の物質世界を意識して生きます。これを表面意識と言ってます。
目に見える世界は映しの世界ですから、常に映しの世界だけを意識して生きていたら、これを自我意識と言います。本来の意識じゃないんです。表面だけが意識でなくて、総計されたものが意識ですから、表面意識と潜在意識は区切りはありません。
お釈迦様は見える物と見えない物は一つと言われたんです。即ち色即是空と、現れてる物と現れてない物は一体であると。
今人間は現れてる部分だけを意識しているんです。これを名づけて表面意識と。しかし、潜在意識と表面意識は区切りはないんです。勝手に局部を意識してると。全面的な意識は表面意識と潜在意識の一体感です。
内観とは内側を意識してる状態、見ている時。外側を見てる時は外観。だいたい人間は外を見て生きてるんです。
表面意識は10%潜在意識は90%、これをプラスして100%が完全意識、神の意識。
自分は普遍的であると意識してる時は、普遍の世界に存在する。内側を意識してる時は内側におるし、外側を意識してる時は外側におる。
海の氷山でも、海の上と下の部分で分かれていない。神の意識が潜伏している。
心とは器、寛大な魂。
個人的な意識を持っていて、全知全能は現れない。
あなたが勝手に自分は人間だと意識を持っている。知花は見える世界と見えない世界は一つだと。
多く意識することで現れる。見えない世界を意識することで、肉を持ちながら天に住むことができる。
素直とは、素に直接つながっている。原素、根源。見えないものに直接つながっている。
鼻と口を押さえてみてください。見える物は見えない物から離れて存在できない。水に顔を突っ込まれたら、見えないものが欲しいはずです。
日常生活で見える世界だけを意識して生きてる。
10%の意識で考えたら、正しい判断はできない。正しく見ることもできない。
内観できてたら、見えないものと見えるものは、一つと言うはずです。
無限宇宙におりたいなら、空の世界と色の世界は一つと、無限大にまで意識を拡大できたら大した物。
自由意志が与えられてるので、何と思うも自由。意識しないでは、その力は使えない。
内を見る時間が少ないんじゃなかろうか?
一つ目になるためには、見える世界と,見えない世界を総計して見ること。
お釈迦様の正しく見るとは、見える物と見えない物は一つと見ること。
何回も同じことを繰り返し繰り返して聞くことで、徐々に理解できてくる。
多く瞑想しなさい。外を見ていて、神意識に到達しますか?
見える世界と見えない世界の100%を意識すること。
A26 瞑想とは何か 1990.06.05
瞑想は教えられない、自分で掴むもの
瞑想とは一体何でしょう? 瞑想が解らなければ、瞑想にはなりません。ただ目を瞑っていればいいと、いうものではないんです。
瞑想を通さずに神の国に、神我到達は不可能です。
イエス様もバプテスマのヨハネも、十何年間インドの方に渡りまして、瞑想の達人であり名人だった。そこで瞑想を一生懸命やられて神我到達なされた。
低い意識状態から高い意識状態への移行をせねばならない。
自己を見つめることが瞑想です。
それ以外、見たり思ったり考えてはならない。大霊そのものが神我、自己です。
大霊が絶対実在、見える物、見えない物全てが大霊だと。大霊との一体感。
肉の目と耳を閉ざして、大霊への一心集注。
大霊が自分自身だという自覚まで、統一していく。どうしても我々は意識が外に奪われがち。
瞑想を教えてくださいと、瞑想が何であるか分からないで瞑想ができません。
自然のままにやってますと、背筋はピーんと伸びます。
本来は意識はちゃんと覚めた状態でないとならない。
眠るまい眠るまいとすると、子守唄みたいに頭が垂れてきます。もう寝てもいいやと自分を許した時、寝てるようで全部言葉聞いてます。
恥を捨てた時、自分を捨てたので、自我がないんです。
ここに来ると安心感とか、落ち着くとか、そのバイブレーションに打たれますとどうしても,そういう状態になります。
一番敏感なのは猫と犬です。安心できる所でないと絶対に寝ない。ここも磁場がいいですから、よく眠るんです。
私がバイブレーションを上げてまいりますと確かに影響は受けます。
無理して起きようとすれば、眠たくなります。その時は寝ても結構です。
今日は大丈夫だという時は、パチっと目を開けて私の顔を見つめるか、
ここで自然のままに、瞑想はこういうものかと自分で見出して、初めて瞑想が出来るんです。
真実なるものを実感できるまで、深い瞑想しなくちゃならない。覚めた状態でも、大霊そのものであり、大生命そのものであると思える状態。日常生活でも、仕事中でも、多く瞑想すれば無意識のうちにそういう状態になると。
今までは古い習慣性で無我夢中で外側を意識してきましたので、今度は外側に向いてた心を内側に向ける、内観することが大切です。
今までは、肉の目で外側を見てきたのを、外側を見る目と外側を聞く耳を閉ざしてじーっと内側を見つめる。
その中で考え事は雑念です。完全な深い瞑想は、霊そのものなんだーと溶け込むように一体感です。
無意識のうちに軽く目を瞑った瞬間、大霊を自覚することができるんです。多くやればやるほどです。為さねばなさらないほど、外側で生きてますので自我です。そこから色々教わるというのは絶対ありません。
真理が真理を啓示する。そこへの一心集中すればするほど、そこから天啓、インスピレーション受けることが可能です。
内側を見つめてる時は高我です。瞑想してる時は高揚してますけど、外側を意識してる時はガサーっと落ちます。
落ちないように常に高い状態で居れるように連続的祈り、一日に何回も何回も繰り返しやっていると、習慣として仕事中でも高い意識状態で留め置ける状態まで高揚せしめる。
低い意識状態なりますと自我ですので、分離感を感じ、対立し不調和を起こすんです。
皆さん瞑想してる時は、自分は大霊なんだなーと思ってる時には本当にそこにおります。瞑想してる時はどなたでも、そこにおるんですけども、覗き見してパッと目が覚めますと、すぐ外側の意識が働きますので、ピストン運動してるんです。
あのご飯が美味しかった、また美味しいもの食べたいと、すぐ3次元になります。低我の時に美味しいものが食べたいとか、いい洋服が着けたいんです。高い意識状態になりますと、寒さを凌げればいいんです。食べ物の欲望はありません。
密教学では、イニシエーション。イエスキリストが十字架にかかる時は第三
イニシエーション、十字架にかかって第四。そして第四が終わってすぐ第五という位を授けられたんです。今は第七です。
第一イニシエーションというのは、まず肉の欲望です。物欲を克服できてるか、美味しい物食べたい、いい洋服つけたい、豪華な家に住みたい、いい車乗り回したい。食べ物の文句、それが一番低い状態なんです。
食べ物はありがたく感謝して食べる。
第二段階は感情のコントロールです。感情が出ない。かっかっとすぐ人から何か言われて鬼みたいになる人。すぐ、イヤーと思う人。嫉妬深い。感情がコントロールできてなければならない。
それも全部、瞑想を通して克服できます。何と言われようが許せる、感情が出てこない。
次、第三は意志のコントロールです。意志とは思いです、想念のコントロールです。今まで悪想念だったのが、正想念、常にいい想いを持つような意志です。自由意志を持ってるので悪想念を持つことも、正想念を持つこともできるんです。
食べ物の欲望、物欲、感情のコントロール。感情はアストラル体です。意志はメンタル体です。それがコントロールできますと、その上の段階からは霊の次元ですから、食欲・感情・意志の三つが克服できるまでは努力せねばならない。
すぐ妬みっぽい、怒りっぽいでは、まだまだ感情のコントロールができてないんです。
後は悪い思いをしないという意志のコントロールですから、常にいい思いで生きてる、正想念が自分の思いとして持続できてるように努める。
バイブレーションはどのようにして高めますか?意識の高揚がバイブレーションの高揚。瞑想を通してのみ、バイブレーションを上げることができる。
常に大霊との一体感が深い瞑想状態。
神我は白光の世界、7つのチャクラの生命線が一つになった時、白光が輝く。
七天、ラッキーセブン。聖数
真理は大霊という絶対実在、
自分が大霊とはっきり実感するまで、瞑想する。一番大切なのは話しを聞くよりも、少々の時間があれば大霊との一体感が大切。
目を瞑って三次元的なことを考えてるなら、自我瞑想。
そのものである、というはっきりした意識状態。神の戸は瞑想で叩きます。瞑想で心の扉を開く、瞑想の嫌いな人は今生は諦めてください。
アクエリアスの時代は霊的に求めやすい時期。熟した者は天の蔵に納められ、未熟な者は再生されます。
最後の時とは、収穫時です。知識では輝きません。瞑想を通してのみ
最初から瞑想の玄人はいない。最初は素人、色々の雑念が浮かびます。何回か求めているうちに減っていく。すぐ目を瞑った瞬間、統一ができるまで訓練。
招かれた者は多いけど、本当に神の国に入る者は少ない。
2022年04月06日
A24 自分を知る 自分を見る 1990.01.23
形の無いものはイナービジョンで見ます
自分が大霊であり、大生命であることは知った。もう一つ、自分を見ることが大切。
無知は克服したけど、盲は克服してない。
意識の目、心の目で見る。大霊そのもの、大生命そのものとなって見つめる。
完全に肉の目と耳が閉ざされた時にキリストとの対面を体験する。神我到達。
無限の空間、無限の広がりを体験する。
自分を知る、自分を見る、その次に自己顕現。
瞑想しようと座っていると、様々な雑念が出てくるが、
雑念はほっておけばいい。大霊以外見てもならない、考えてもならない。
ここで自分は大霊なんだ、大生命なんだと聞いて、そうかなと思いこみ始めた。
ちょうど2,3才の子供に1.2.3.4…を教えるのと一緒。
今までは知るということを教えてきた。今からは見ることを教えるだろう。
形のないものを見ると言うと奇妙に聞こえる。しかし心の目、意識の目では見える。内的ビジョン、イナービジョンが我々を完成していく。
内的ビジョンのできない人は、到底見えない物を見るのは不可能。無限の広がりをビジョン化することはできる。
内観とは、内なるビジョン、霊的ビジョン、霊視能力。これを霊眼・神眼と言う。
真実なるものは無形無双の全宇宙に遍満している生命エネルギー。それを見るために五感の目を閉ざして、耳を閉ざして、肉の感化を完全に沈黙を守らせて、内なるイナービジョンへと…自分というものが霊そのものへの融合、霊そのものになり切る。全宇宙、天上天下に大霊そのものが満ち満ちているというビジョン化して見ることが大切です。
これが神のビジョン、内的ビジョン、内観です。それを見た者は完全に内観をしたということです。
深い瞑想状態とは、完全に自我意識からの解放です。
雑念があるかぎりは、あなたはこの世におるんです。
完全にあなたがこの肉を感じない、この世的な周囲の諸々の物を感じない自己。そこには、見える物も見えない物も全て大宇宙、即ち大霊そのものの内的ビジョンのできた状態です。
そこには大いなる大霊、大いなる生命あるのみ。その時、宇宙即我という境地に到達します。宇宙意識、普遍意識、神意識と言われてるものなんです。
その様な深い瞑想状態に入って、見るということを鍛錬する、実践する。
知識で大霊です、大生命ですと言っても、そう価値あるものじゃない。
30:30
自我意識から神我意識への移行
皆さん周囲の色々の物を拾い上げて、悩み苦しんでいませんか。
この世の影響を受けない様にならない限り、解放じゃないんです。
瞑想が嫌いであれば、そこを見ることは到底不可能。
小心者は争うのが早急です。寛大な心は赦しと愛が豊富ということです。
無知と盲の克服。自分を知ることと同時に、自分を見ること。あと一つ残されてるのが顕現です。三つを完成せねばならない。
はっきり自分が大霊であり、大生命であると、大宣言せねばならない。疑っている者には宣言はできません。
自分が神の子であることを知らないことが罪。
バイブレーションがどんどん高揚すれば、理解力も知恵も増してくる。
真実への敏感さが増す。
解るとは、そのものであること。
分かってもないのに、分かったふりをする。知識的に丸暗記して。
大霊を食べて初めて、その味が分かる。
解るまでは私は言い続ける。真理は理屈ではない。理屈抜きで素直に。
イエスは私を食べなさいと言った。知りなさいだけじゃない。
知っただけじゃ絵に描いた、ぼた餅。
A22 直感とは何か 1992.05.08
直接、内から感じるもの
直感とは、天啓・インスピレーション。直感は天から来るもの、五感は外から来るもの。
目、耳、鼻、口、肉体、人間は五感に頼って生きてる。
小さな自分を見て、大きな自分を見ない。小さな知恵、力しか働かない。
直感は智慧、五感から来る物は智識。
悟った人は正しく見てるので、自分を人間と見ないんです。
五感が真実を見せないように邪魔してますから、五感の誘惑に負けるなと。
五感に支配されたら、年をとるし、病気になるし、死にますよ。
戦争してるのは五感人間であって、神じゃないんです。ここはサタンの溜まり場です。
サタンは死を啓示し、病気を啓示し、色々の悪いものを啓示します。
十字架の象徴。肉をサタンを磔にして、復活された。肉に死んで真に生きる者となる。肉は死んでも、生命は永遠。
一番大事なものを与えなさい。生命は永遠であることを教える。
四六時中、神我を意識していればサタンに力を与えない。
天より下るパンを食するとは、受け入れること。
神との分離感を持ってるものに直感は来ない。直感は神から直接来るもの。
神から直接生かされている。
「神おわすが故に私はおわすのである」
「天の父、常に私と共にある」とあなた方も言うたらよかろう。その時、直感を得ます。聖霊が下る。
その時、言葉に不自由しない。どこの国の言葉でも必要に応じて、必要の場で語る。これを異言と言う。
ちょうど知花がインドに行ったらインド語が出てくる。アメリカに行ったら英国が出てくる。
意味の解らない言葉をべちゃべちゃ喋る事ではない。どこの国の言葉でも語る。
なぜかと言うと、インド人の命とアメリカ人の命と日本人の命は、同じ命。
イエスの兄弟も理解できなかった。気違い扱いした。誰が私の兄弟か?御心を行う者のみが私の兄弟であると。
しかし、実在においては皆兄弟姉妹。生みの親は神という唯一の親。
私のことを、実の兄弟姉妹と思っているの?内側で見るなら遠慮はいらない。血よりも濃い、生命のつながり。
内側で見るなら、全体を愛する我。外側で見るとどうしても分離感を感じる。
今、私知花が普遍意識状態になると、あっちから私を意識する者、こっちから意識する者が多すぎて、引っ張る者が多すぎて、こんなこんな(動く)する。
しかし普遍ですから、一度に100万人が私のことを呼んだとて、100万人の所に行くことが出来る。
何百億の教会がイエスを呼んだとて、どこにでも行ける。個人であるなら行けない、普遍であれば一度に呼んだとて全部に行き渡る。
知花のことを噂すれば、皆さんの中に私はおりますよ。悪い噂も良い噂も全部わかりますよ。
直感力を得ると、幅広く全てを知り尽くす。これを叡智・仏智と言う。
直感を得るためには、時間ある毎に内を見る、内観、黙想する。
外から来るのは外念。神から来るものは想念。外念と想念を混同しないように。
造り主と造られた物の分離感を持つことで、神からの啓示を受けられなくなった。
必ず造られた物の中には造り主がいる。内在のキリストの自覚ができた時、キリストからの直感を得る。内的自覚ができた時、その時、毎日のように天啓が下ってくる。叡智、仏智。
不調和な人間に直感は下らない。愛が深くなればなるほど、知恵が深くなります。不調和だらけで神からの啓示を受けてますと言ったら、悪霊・憑依霊です。
類は類を呼ぶです。
神と波長が合ってるのは心が調和されてる時のみ。不調和の時は、神と波長は合いません。不調和の者に絶対にチャンネルは合わない。
2016年08月13日
A20 カルマの法則 1993.03.12
神我にカルマはない
0:30
我々の日常生活がカルマ。過去世で犯した罪。まいた種は刈り取る。善業、悪業がある。カルマの上塗りがある。毎日が種蒔き、刈り取り。
騙すのも、騙されるのも、離婚も病気も、カルマ。
02:55
何ぜカルマを余り話さないか?自我に属するものだから。
カルマの克服は神我に到達するしかない。疲れ果てた者は私の元にいらっしゃい、お荷物を下ろしてあげましょう。そのお荷物がカルマ。
カルマに押し潰されて、自殺行為する物もいる。
04:10
ここで話を聞くのもカルマ。偶然来た人はいない。
カルマの刈り取りをしに来ている。
神我に目覚めると、カルマを一度に刈り取る。消滅する。
光の世界に入ると、闇であるカルマは存在できない。
05:25
身口意、三つの罪がある。
自我人間で罪を犯さない者はいない。分離感を持ってるから、罪を犯す。低我ではカルマから免れない。
籾殻(肉我)は永遠に消えない火(生命の光)で焼き尽くしなさい。
07:10
金儲けしやすい人、貧乏な人もカルマ。毎日がカルマ、審判の日。しかしいつまで経っても、カルマの刈り込みに来ても、カルマが多くなっている。
自分のお荷物を神に投げ出す、神我に投げ出す。
肉我に生きる限り、お荷物は多くなる一方で、到底カルマの刈り取りは不可能。
10:10
カルマには個人的カルマと、集団的・国としてのカルマがある。偶然に親子として生まれてくるのではない。気の合う、合わないも試される。
どこかで事件があっても、殺す殺されるもカルマ。
次生まれて来たくないと言っても、カルマがある限り生まれる。
14:54
カルマの上塗りだけして、なかなか天・実相世界に帰って来ないので、皆さんに実相世界を教えて、火の洗霊・霊光を浴びることでカルマは一度に解消できる。これが至福感、法悦感。
16:30
毎日起こることは、法則に基づいて否応なしに起こる。
ここから離れるもカルマ、入ってくるもカルマ。去る者追わず、来る者拒まず。
偶然は偶者にある。賢者は全て必然。
18:10
結婚が出来る、出来ないもカルマ。そんなに悪い事ではない。するべき者は必ずする。捨てる者は捨てられる。
悩み苦しむ必要はない。今日も1日スムーズに刈り取りさせて頂きましたと、気楽な気持ちで生きること。
20:00
過去世の事は覚えてる人はいない。身に覚えがないと言っても、目の前に現れて来るものは必ず刈り取らねばならない。別の物は押し付けられない、全て自分のもの。
21:08
疲れ果てた者は私の元にいらっしゃいと。お荷物を下ろしてあげましょう。カルマに疲れ果ててなかったら、まだ体験してもいいですよ。もう嫌ですか?
21:39
たくさんカルマを持ってる者は三途の川を渡れませんよ。川の底にたくさん宝物が沈んでるというのは、全部カルマを投げ出したという象徴です。
物質主義者はこの世を去った時に、一寸先も見えない真っ暗闇を体験します。闇主義者は闇を愛したんですから、闇に住まねばならない。これを闇地獄と言います。物質主義の最後は惨めですよ。
27:45
霊的なものに満たされると満足感です。しかし物はいくら持っても満足しない、何ぜかと言うと実在しない影だから。
29:55
毎日起こる事はカルマです。カルマの法則を知っていれば、誰かを責めることはできない。
スムーズに刈り取るか、憎しみ合いで終わるか。逆らった分だけカルマの上塗りとなります。
人のカルマの刈り取りを見ていても、口添えはできます。安心して、刈り取らすことができる。
31:57
誰かの補償廃棄でも、必ず別人を通してでも借金は帳消しになるまで払わなければならない。この世の金銭的な物でも。
例えば自殺して死ねば払わなくていいと思っても、次お金持ちになった時にごっそり持っていかれます。
この世で犯した事で、どんな小さな事でも刈り取らずにはすみません。
33:13
カルマの法則がはっきり解ると、どんな事でも自分の犯した事ですから、喜んで刈り取ってあげると。
刈り取った分と犯した分と差し引き計算すると、どちらが大きいと思います?
善業もある。そのことを徳と言う。愛は善業。赦し、愛です。
35:26
こんなカルマの事よりも、カルマは自我の事ですから、あまり言いたくない。神我にカルマはありません。輪廻もカルマも実在しない。
カルマの法則、輪廻の法則は自然法則。宇宙法則は愛の法則、光の法則。宇宙法則の世界に入ると、自然法則の影響を受けない。
39:10
若い女性なら今から恋愛もするだろうけど、その相手も偶然ではない。巡り合い、遠生の友。それもカルマ。
神我に目覚めることが、何よりも大切。
39:54
闇を消すには光を持ってくるしかない。皆さんの学ぶべきは神理。カルマの法則は非真理。克服者キリスト。
自我である限り、輪廻とカルマの法則の支配下におかれる。
法は一つ、天理。一番大事なのは神我に目覚めるよう努力すること。
42:23
自我人間で生きてる限り病気になる。自我は不調和を起こす。健康も幸せも、心次第。愛と調和の生活をすれば、その日から幸せになる、愛の法則は完全法則。
陰陽の法則、原因結果の法則を犯した結果、その報いがカルマ。
平安である為には神我到達するしかない。自我で平安は不可能。
45:21
皆さんが大霊という無限光と一体になってる時に、周囲の波動、悪い思想、悪い思いを焼き尽くすことが出来る。人類救済が出来る。光が現れれば、闇は消えてなくなる。霊的に目覚めて、光そのものを放射する。放流すると周囲を清める。これをお清めと言う。
47:19
あなたは無言の奉仕ができる。大霊と一体となると、無限光、偉大な光、光そのものとなりますから、電車の中、飛行機に乗ろうが、あなたのおる所、奉仕をして歩いていませんか。物理的な救済で清めることできますか?
この世を清めるのは霊光、愛光しかない。燦然と輝かすあなたとなりなさい。
48:30
神我は光そのもの、奉仕者。その為には霊的自覚が必要。霊であるという強い思いがあるか。自分は人間だ肉体だと思ってる人に後光は射さない。
その時カルマは消える。カルマでカルマはなくならない。光に向かって走りなさい。
50:40
光に向かって旅する人生と闇に向かって旅する人生、二つに分かれます。物質主義と霊主義。物質主義は夜行列車。最後の審判、篩い分け。新しい光の世界へ向かって頂きたい。
51:35
新しいエネルギーに順応する者、古いエネルギーに順応する者、二通りに分かれる。ニューエイジ、光を求める魂であってほしい。
光に向かって初めてハイアラーキーという天上界を体験できる。
天使方をハイアラーキーと言う。
真っ黒い自我人間が、私達はハイアラーキーグループと言う、偽りの集団もある。
52:54
この世に神が光あれと言われた時、そこにあなたもおったのであると。宇宙を創造した時から皆さんは神と共に実存していたものであると。後から生まれるものはない。
54:35
光を受信して、光を送信すると、太陽となる。太陽神。

