この生命という光を見ることを明想と言います。
明るい想念、光を想念すること。
闇を見慣れてる者が光を見ることは不可能。
知識では分かっているけど、実際に生命という光に一心集注する時間が長ければ長いほど、目が慣れてくるわけです。
外側の闇を見れば見るほど闇に慣れてくるわけです。
54:40
ここに居る皆さんは、みんな光に走っています。
もし闇に走っていたら、ここには来ません。
ここは闇の教えをしてる所じゃなくて、光の教えをしてる所ですから、波長が合わなくなると自ずから出ていきます。波長の合う者は来ます。
だから去る者追わず、来るもの拒まずです。
一時はいるけれども、去ってしまう人も沢山いませんか?それは途中で諦めたんです。もう、今生は闇の方がいいやと言って、闇の王国に埋もれていく。
これが光と闇の戦い。幕が二つに裂ける。最後の審判なんです。
ここまで一生懸命,何年間も共に学んで来た連中でも、ここ(闇)を選ぶ人もいます。
それは自由意志ですから、誰がも強制できないということです。
人情あるなら止めて何ぜ引き戻さないの?と、できるんですか?
本人の自己選択ですから犯してはならない。また犯したとて嫌われるだけ。
56:50
ちょうど光という度合いと闇という度合いは交わって存在してますから、境目なんてないんです。
真っ暗闇というのは光の度合いがうんと下落したものという意味です。光を放射して遠くに行けば行くほど、闇になりますね。
それが光のドームですから。例えば、そのようなものです。
59:38
肉という影の自分から生命という光の自分を見ることではなく、全体として自分は光なんだと生命という光を認識して、外側の影を見た方が見やすいですね。
闇の世界から光を見るのは限界があるんです。光から見ると自由に見渡せますから、それが視野の拡大ということです。
逆さまに見ようとすると、今生は無理です。
この世界はバイブレーション・波動を意味してます。
光に近づけば近づくほど、エネルギーは高くなるわけです。
未熟の者が急激に光を見ようとすると欲張りというもの。見たというなら嘘です。
見たとするなら、眼球は真っ黒く焼け焦げます。
あまりにも皆さんの焦りを見ていると、言っておかねばならないと結論の結果、今日申し上げました。
多く生命という光へ集注していただく、光明思念をすると目が光にどんどん慣れてくる。
コウモリ人間は、物質に向かって走る人は夜行列車に乗っています。観光バスに乗るのかは自己選択です。
片一方は闇に向かって走るし、片一方は光に向かって走ると、とうとう波長が合わなくなって友達ではなくなるわけです。
それは不調和ではなく、人間の自由意志を表現しただけ。彼らが望んだもの。
しかし勿体ないですね。下へ下へと向かっているようなもの。

