全て神 何ぜ ・・・1993.12.25 より
だから、原子と電子が全てを造り、原子と電子が全てに宿っていると。神吾が中にましますなんです。だから、神は万物の造り主であり、万物の親なんです。造られた物の中には必ず造り主がおると。創造主と被造物とは同じものであると。
例えば、あなた方が、造られたものと造り主とは違うものと言うならばですね、コップとガラスは違うものと言わねばなりませんよ。コップとガラスは違うもの、同じもの? 同じものですね。じゃ人と神とは違うもの、同じもの? 同じものですよ。
だから、全てが神であるということを今日ここでですね、理解してもらいたい。もう、今世の中は、全てが神であることを知りませんので、イエスが神ですよ、日蓮が神ですよ、お釈迦様が神ですよと、部分的神を説く宗教家がなんと多いことかと言うことですよ。
『神は全ての全て、ありて在るものなんですね』。だから、神は無限者なんですよ、普遍者なんですよ。普遍なる、無限なる神の中に、どうして神以外のものが存在出来ましょうかと言うことなんです。
神は絶対者であり、無限者であり、普遍者であられるならば、神という“絶対”の中に、神以外のものが存在できるはずがないと想います。
ある?あるの?
じゃ悪魔ってどこにいるの? 悪魔ってどこにいるの、全て神でしょ? 神が全てを造り、神が全ての中に、・・全てが神なら悪魔ってどこにいるんですか? 悪魔は誰が生んだの、誰が? どこにいるんですか?
悪魔っていないはずですよ。その悪魔は人間の観念が作り出した幻なんです。そうですね。神もおってね、悪魔もおるんですよと。どこに?と聞きたいんですよ。どこにいるの悪魔って。
その言ってる本人の心かも知れませんね。その本人が作り出してるだけですよね。そうでしょ、
じゃ悪魔って実際におるもの、実在しないもの? 神もおってね、悪魔もおるんですよという理論は、成り立つ、成り立たない? 二元論になる、一元論になる? じゃ悪魔ってどこにいるんですか? いるの?
(返:いないです)
皆さん方、神と悪魔とかよく言う話をするんですけれども、悪魔ってどこにいるんだろうか。じゃ悪魔の親ってどこにいるの? 神は万物の造り主でしょ。全てでしょ。そうすると悪魔はどこにいるのかと言うことになります。ね。
悪魔とはですね、まだ神を知らない、その『心』の状態を言ってるんですよ、解りますね。それが、その空想や妄想で、様々な悪しきことを思い描いているだけに過ぎないんです。
じゃ悪魔って幻だったの、実在するものだったの? 幻ですよ。
その幻を自ら作って、自ら、怖い悪魔がいるってよーと怖がっているわけです。これは、『自念症』と言います。自ら作り出した幻に、自ら支配させてる人のこと。これを、『意志薄弱』と言うんですよ。意志力のない者。ね。じゃ神の祟りってあるんですか?愛ですよ。愛が祟ったら喜ばねばなりませんね。そうですね。
だから、皆さん方はですね、その神と言うものは罰する者ではないんですよ。あなた方が罰せられているのは、神が罰するんじゃないんですよ。『自己処罰』と言いまして、この陰陽の法則と、原因と結果の法則、
・・・
この原子と電子は結果ですか原因ですか? 原因ですね。この形は結果になってますね。
その原因と結果は違うもの、同じもの? 原因が神であるならば、結果も神であるはずですよ。原因と結果は違うと言うなら、その人は「あんぽんたん」、頭の悪い人。いい人、悪い人? 原因と結果は違うと言うなら。
原因が神であるなら、結果も神であるはずですよ。そうですね、じゃ原因が愛であるなら、結果も愛であるはずですよ。
原因が神であるなら、結果も神。原因と結果が違うと言うなら、もう全く法則を知らない人。法則を知ってるならば、原因と結果は同じものだと言うはずですよ。
原因は神でね、結果は人間ですよと、理屈が合う、合わない?
「はっきり」言ってくださいよ。合わないはずですよ。これは法則ではないと想いますよ。違うと言うならば、ね。法則にはならない。
だから、皆さん方は原因が神なら、親が神ならその子は、・・親が神でその子は人間と言うのはあり得ないこと。親が神なら、その子も神であるはずですよね。そうですね、
皆さんは人間がネズミを生む? カエルを生む? 生む、生まない? 生まないはずですよ。形こそは違うけれども、本質は同じなんです。形こそは違うけれども・・
だから、この原子と電子はですね、「女」の肉体という衣装をまとっていようが、「男」をまとっていようが、本質的には男と女と違うもの、同じもの? 同じものですよ。ただ着けてる衣装が形が違うだけで、本質的には変わりはない。
例えばこのコップと灰皿とは、形も使命も違いますけれども、本質は?同じですよ。使命も違いますよ、形も違いますよ。形も違うから、使命も違うから、本質も違うと言ってはならない。そうですね、灰皿は灰を受ける灰皿としてあるわけです。これは水を飲むコップとしてあるわけです。使命は違う。本質的には同じものなんです。
だから、人間のかたちが様々あるからと言って、本質が違うと言ってはならないんです。本質が違うと言ってはならない。
神様は偉大な方ですよ。50何億という同じ顔の人間がこの宇宙にいると思いますか、地球上に。まったく似ていますねと言う人がいる、いない?こんな小さな面積に、みんな違って創ってるんですよ。たいした彫刻家だと想いますよね。そうですよね、指の指紋みて下さい。こんな小さなものでみんな違うわけですから、違うわけですから。これは大したもんだなと想いますよ。全知全能じゃなければ、出来ないもんだと想いますね。
で、あなた方が口から物を投げ出すと、そこですぐ『元素転換』が行われて、血や肉あるいは髪の毛に爪に色々なものを造り出してるんでしょ。じゃ、これ以上の精密工場がこの地上界に存在しています? あなたの体の動きのようなもの。即時に血に変え、髪の毛に変え、骨に変え、やるんでしょ。見事なもんじゃないですか。ね、これは神の知恵じゃなければ出来ないことですよね。
じゃ偉大なる知恵と力とはどこで働いているの? 皆さんの中で働いていますよね。働いている、働いていない? その偉大なる知恵と力と皆さんは離れて存在可能ですか? 不可能ですね。だから、皆さんの中に智慧の泉も、力の泉も全てあるんですよ、ね。
それを認めた時にですね、「内なるものは外なるものを通して顕れてくるんですよ」。認めるものは現れる、信ずる者は救われます。ね、あなた方は、人と神とは別だという”分離感”を持ってるんですよ。
その分離感は誰が教えたか? 宗教家たちが。人と神は違うよ、あなた何か修行しないと神になれないよ。「本当ですか、嘘ですか!」
うそ、ほんと? 今から神になるの、初めから神なの? 怒ってはいませんよ、叱っているだけ。(笑)
だから皆さん方、今から神になる人はいない。野菜を食わないと神にならないとか、ね、そんなもんではない。
正食(せいしょく)と言うのはですね、何かと言うと、この人が神を受け入れることなんですよ。ね、正食というのは。人と神との一体感なんですよ。あなた方は食べ物で悟ることはありません。
だから、イエス・キリストは『何を食い、何を飲み、何を着けようと思い煩うなかれ』と言ったんですよ。ね、これを食わないと悟らないよと言うことがあるんですか? あの人、タバコ吸ってるから悟らないよ、神にならないよ。タバコ吸ってるのも、吸わないのもみんな神なんです。あるがままに、そのままにして神ですよ。吸うと神にならないんですか? タバコ吸ってる人も吸わない人もそのまま神ですよね。
今から神になる人がいるんですか? 初めから神ですか。
皆さん、生まれながらにして神ですよ。じゃ、今から神になる努力が必要なの。 必要なの!不要なの? 『難行苦行』する必要があるんですか。何かの儀式やどこかの宗教に入らなければならないんですか、そのままですよね。いい人も、悪い人もそのまま神なんでしょ。あの人、悪い人だから神ではないよと言えるもの、言えないもの? みんな神ですよ、いい人も悪い人も。
ただ、神という自覚がないだけですよね。神という自覚がないだけ。
しかし、神ではないと自覚が無くても、彼/彼女が神である事実は変わりますか?変わらないですね。それは自覚に順応して神は現れますと。自覚がないから神が現れてこないだけで、自分が『神』である、という神の自覚が出来ました時、神は全てを通して顕れたもう。
外なるものが内なるものを認めた時、外なるものは内なるもののようになる。即ち『人格神』となるわけです。人格神とは何かと言うと、人間の姿・形をとった神となるという意味なんです。それを、皆さん方が為さねばならない。
だから、理解力が必要なだけであって、その野菜を食べないと悟れないよとかね、神になれないよと言うのは、これは真実ではない。
その為に、バプテスマのヨハネは禁欲主義者だった。ね、肉を食っちゃいけない、牛乳を飲んじゃいけない。何を食っちゃいけない、非常な禁欲主義者。女をまとってはいけない、ということに非常に禁欲主義で、非常に知識的に優れた方だったんですね、バプテスマのヨハネは。
で、禁欲者の禁欲、禁欲で、本当の、禁欲してる者も、しない者もそのままにして神であるという真実を悟らなかった。だから、彼は再び生まれたんです。首をはねられたわけですから牢獄で。ね、死におびえていたんです。彼はまだ外に向いていた。即ち、彼は水を象徴としていますので、女性を象徴としているんです、肉を。だから、禁欲、禁欲で通したんですね。で、禁欲で通したので、禁欲のカルマを持っていますので、再び肉の世界に生まれたんです。それは、どこに生まれたかというと日本に生まれています。日本に生まれたんですね。その日本で有名になったのが、白い道。「親鸞聖人」です。
親鸞聖人は、だから種馬だったんです。過去には女嫌いで女を近寄らせない、近づけたら大変と思ったんですけれども、その白い道での親鸞聖人は、あっちに修行に行ってはポトン、子供を産み、こっちに行ってはポトン、子供を産んで歩いたんですね。だから、岐阜にも沢山その子孫がおりますよ。あっちこっちに子孫がおりますよ。子供がいますよ。
だから、我々は人間の行った道と言うのがカルマを造り(作り)ますと、それを刈り取らねばならない法則がございますね。それは、全部自分が蒔いた種でございますので、刈り取らねばならない。
今日から皆さん、親鸞聖人みたいに浮気しなさいとは言ってませんよ。汚い人間、不倫を行っていいと教えているんじゃないですよ。ここ誤解すると、今日から一生懸命、頑張ろうと、(笑)また思う人もいるかもしれませんけれども、ここをよっぽど程々にしませんと、ね。あなたの持ち物で満足しなさいと言ってるんですよ。持ち物で、ね。余分なものはいらないという意味なんです。
だから、皆さん方すぐ知花の言葉にひっかかって、「知花は浮気を奨励したと」。これは、とんでもない誤解だと想いますよ。そう言ってるんじゃないんですよ。神は一夫一妻ですから。 一夫二妻?多妻? 一夫一妻ですよね、これが原理ですから。
だから、皆さん方はもし1人の男に2人の奥さんがいたら、アンバランスじゃないですか。バランスが取れている、取れてない? これは調和なの?いつも不調和だと。三角関係というのがありますから、(笑)いつも不調和になると思いますよ。だから、一夫一妻の場合は調和ですけれども、そういうことやっては本当はいけないですね。いけないですよ。
2013年06月28日
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