2019年08月30日

A235 原点と接点の識別

1:07:25 どこかでイエスを呼べば、必ずイエスの意識はそこに存在しております。何十万の教会から一度に呼ぼうと、イエスはそこに到来してます。呼ばれて行かないというわけにいかないんですね。それは事実です。一度に何十名呼ぼうが、そんな不自由さはないんです。

1:08:15 それと儀式信仰というのも、そう無駄ではないんです。例えば、何かの形体を造って拝んだとします。仏像でもいいですね。汝、偶像するなかれではありますけれど、意識の低いものは形で神を拝まねば気の済まない連中がいるわけです。
そうしたとき、形体の中にも普遍意識は宿っていますから、これが媒体となって、人間がこの形体を信じる心が、ここの形体の媒体に住んでる意識が働きます。
それは、形そのものには鉱物的なものにはその働きはありませんので、ここにいるハイアラーキーの白色同朋団が肩代わりをします。可哀想だから。これを信じ込んでいるわけですから、色々の形体をね。
そこに、鉱物としての働きには自由意志がございませんから、人間として生まれた体験のあるものが、この形体を媒体として、ここに手助け、そしてこの形体も神、質料、本源であり本質が働いていますから、そこを通してここを信じてる集団をお手伝いはできます。だからイワシの頭も信じれば神になるというのは、その信仰であります。しかし、これはあくまでも低い信仰ですよ。
皆さん方は間接的に生かされているのではなく、直接ですから、直接、神と一体となっていただくことが肝要かと思います。媒体を置きませんように。いつどこでもあなたと共に神はおります。
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2019年08月29日

B228 自分は一体何なのか

1:40 本当に自分とは何なのか?ということを、答えきれるだけじゃなくて、その答えた そのものにならなくちゃならないということです。
たとえ知識的に自分はこうであると、口先だけで唱えたところで、そしてそのものとしての生き方をしていなかったとするならば、私達はまだ迷いの中におるということです。

世の人々は、自分で自分を知らないという人が、この地上界の99.999%までが自分を把握してないのでございます。
あなた方は自分で自分というものが本当に証されますか?
もし、自分が説明できるならば、あなた方は解脱したのでございます。

4:53 ここで色々とお話しを聞いた方々は観念でとらえて、だいたい自分はこういうものであると言うでしょう。
しかし、観念で言ったところで、実感としてとらえてなければ、まだまだ、あなたのものとなっていないのでございます。

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2019年08月27日

B228 自分は一体何なのか

16:00 生命とは、宇宙を支配している神性エネルギー。即ち力でございます。
生命とは形あるものではなくて、非人格的で、一つの生命が宇宙空間にも、あなた方の中にも満ち満ちています。

17:30 その神性エネルギーは"愛"でございます。愛とはバランスのとれたエネルギーです。調和のとれたエネルギーのことを"愛"と言います。

18:30 もし神性エネルギーが愛のエネルギーでなかったとすれば、宇宙空間に満ち満ちている星々はぶつかり合って、全部破壊を招いて、地球も破壊して人間もぶつかり合って、全てのものが破壊してしまいます。
破壊しないということは、調和が保たれている、即ち愛の絆で結ばれている。

19:18 しかし残念なことに人間だけが、ぶつかり合って、殺しあっている、愛に相反するものは破壊です。

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2019年08月25日

A233 忍耐

自分は1%も完全性を現してないのに、もう100%完全性を持っていると言わんばかりの口ぶりをしてはいけない。身振りをしてもいけない。
だから、この知花だって自我ありますよと言いますよ。自我がない人間っておりません。自我の世界ですから、ここは。
私はもう真我のみですと言う人がおったら、ちょっと「プーか、パー」だと思います。そんな人間はおらないんですよ。肉に生きてる限りは自我があるのは当たり前なんですよ。そうでしょ、出てきますでしょう。

表面を意識して生きながら、表面意識のない人間なんておりませんよ。その表面意識が自我ですからね。
いかに私達は表面の中に生きながら、内側の世界という、真我の世界を多く意識するように努めることが肝要かと思います。忍耐強くですよ。

この世の中に完全潔癖、無欠な人間はおりません。意識が神様のような意識になっているものはおりません。
聖者方にしろ、何方にしろ、そうです。天使とて、そうであることをお忘れにならないように。
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2019年08月23日

A233 忍耐

51:25 神我顕現が出来たからと言って、100%神が皆さんを通して現れることはありません。
せいぜい聖者方でも20~30%の表現しか出来ないんです。如何に神が偉大であり、無限大であるかと。

少々、私を真理を知ったから、もう神我顕現したからと言うならば、その人は傲慢か何かだと。
本当に皆さんは100%の神の表現が出来ると思いますか? 
だから、自分はもう100%の神を表現してると言うならば、パーかプーですよ。

イエス様でさえも本当の神の表現は30%出来たか、出来なかったか。それをあるものは十の実をつけ、あるものは二十の実をつけ、、
まあ、神の10%でも私達が表現出来たとするなら、もう偉大な魂ですよ。
如何に神が偉大であるか。それを、少々知ったからと言って神我顕現だと自惚れはやめて欲しい。

もし、神様が100%完全にならなければ天の蔵に納めてくださらなかったら、一つも収穫できないんです。
この世の中の人間、100%神に似た様なものだけ収穫するならば、到底私達は何転生繰り返しても天の蔵に納められるものはないだろう。
虫の食ってるものもあります、野菜にも。虫の食ってる人間もおります。その中で如何に神意と善意を現せるかと。
イエス様でさえも、これだけのパーセンテージたったのかとお分かりいただければ、あまり焦りもなくなるだろう。
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2019年08月21日

B225 命は一切の主

自我で考えているものに、何一つだって正しいものはありません。
自我で、これは正しい、これはこうなんだ、ああなんだと思っているものは、全てあなたの制約にしか過ぎない。

自我は偽物ですから、あなたの考えてるものは、偽物であるということです。
真実の自分、命の自分、全一体感でものを判断することが事実なんです。真実なんです。

あなたの自我でいくらいい考えを持っていると思っても、いい考えではありません。みんな悪い考えです。
良いものは、良いものからしか現れません。分離感は悪いもの、悪ですから、悪い考えなんです。利己的です。自己中心的です。

分離感を持っている限り、自分と他人と絶対に仲良くすることはありません。
あなたがいいように生きているようでも、そこには自己保存の心と言いまして、自己中心的であるということです。

あくまでも神に到達することは非利己的でなくてはならない。それは全一体感・自他一体感。それを獲得した者のみが神の国に入る。
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2019年08月19日

A232 自分とは何か 答は汝の内に有り 何ぜ

母の愛というのは、子供が2人いたとします。片一方は手のかからない、安心してほっておける子供。片一方は悪いことだけを散々している子供。
親はどこに手を差し伸べますか? どっちに。
悪い子であればあるほど、心を向けて助けてあげようとするんじゃないですか。これが、母性愛。
その母性愛の上のものが神の愛なんですよ。

私達は、すぐ都合が悪くなると避難や批判に回りますけど、こういうことが愛なんだろうかと。
たまったもんじゃないですよ、その本人は。悪いことで苦しんでいるのに、それに追い討ちまでかけられたんじゃ。
そうさせないように愛の手を差し伸べることが大切ですね。

悪い人間であればあるほど、手助けが必要じゃないですか。
しかし、そこに問題が一つだけあります。知花がそう言ったからといって、悪い人間を探してそこに行って手助けしようとすると、噛みつかれますよ。徐々に落ち着いた状態にもっていくという意味なんです。
また、知花がそう言ったからといって、そういうことやろうとすると偽善になりますよ。

例えば、悪いことしてる時は、「あなた、今日悪いじゃないかと。こういうことしていいと思うか」と言うことも愛じゃないですか。忠告することも。
悪い人をほっておくべきか、たまには叱りつけることも必要じゃないですか。あんた、悪いことしたじゃないかと。これでいいと思うのかと言うことも愛じゃないですか。
褒め称えるだけが愛じゃないですね。間違っていませんかと言うことは愛だと思いませんか。ただほっておくだけが愛じゃないですね。
憎くて叱るんじゃないですね。そのような愛を隣人に手を差し伸べていかねばなりませんね。
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2019年08月17日

B227 天啓を受けた魂

0:48 皆さん方は、よく私にインスピレーションがあったと言いますが、本当の天啓という意味を知ってる人がいるんだろうかということです。

天啓とは、天と繋がっている者、即ち一体感ですね。今即天という境地に到達した方は、みんな天啓を受けているわけです。
天啓を受けた書には「聖書」がございますね。聖書はインスピレーション、天啓を受けた魂が書き上げたのが聖書なんです。

即ち自己に目覚めた人、神我に目覚めた方々は、みんな天啓を受けた方々なんです。
自我に生きてる方々は、天啓を受けてない魂なんですね。

天啓を受けた方を「天使」と言います。命に使えるもの。それを「使命」と言います。天命・天使・使命…
皆さん方はインスピレーションを受けるためには、天より下るパン、即ち生命のパンを食せねばなりません。
食するとは、受け入れるということです。
生命のパンを食しない限り、久遠に生きるものにはなりません。

10:30 だから、イエス様は私を食しなさい、私の血を飲みなさいと言ったんです。即ち、「聖体拝領」と教会辺りでは言ってますね。
そのことの意味が解らない。解るはずがありません。それは低我で自我で判断するからです。
ドグマで誤謬化して真理をひねくれて説いてしまっているんですね。
posted by と^と^ at 00:00| 言葉、声、天啓・インスピレーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする