2017年12月18日

生命は大我 肉体は小我   B189

決して多くなったから、みんなに愛を留めてないという意味ではございません。それをいちいち構っている、一人であるならば構う時間もありますけれど、多くなりますと構う時間も無いのは当たり前でございますね。
多くなればなるほど、そうだと思うんです。で、距離感を感じると思うんです。しかし、そう思ってはなりません。どうか、そういう悲観的な思いを捨てていただきまして、本当に私が皆さん方を愛してないことはありません。
それはなぜかと言うと、あなた方を愛することは私自身を愛してることであることも、私自身が良く分かっているからです。
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2017年12月16日

病気と元気   A188

完全に私達がエネルギーを使い果たしたとき、エネルギーが完全にこの体を支えることができなくなったとき、どういうことがおこるかと言うと食欲がなくなるんです。食べたくないという思いが起こりますね。あまり疲れきると食欲出ますか? それは本能なんです。
なぜかというと、食べ物を食べるとその食べた物を消化するエネルギーが必要なんです。そうすると、本能的に食べることよりも身体を休めた方が得だということを知っているんです。
だから、無理やりに病人に食事を与えてはならない。一番、本人が知っています。
ちょっと少々無理してでも、食べれば食べられる状態なら食べた方が得です。食べた分だけそのエネルギー、気が入りますから、食べたら元気になったというのを体験します。
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2017年12月15日

生命は大我 肉体は小我   B189

こういうことをよく耳にします。一年前の人数が少ないうちは先生は非常に愛深いと思ったけれど、多くの人が来るようになって愛が薄くなった、という言葉をある人から聞かされました。
皆さん方こういうことを体験すると思います。一人子の場合はその一人のために一生懸命目をかけますけれど、一人から二人、三名になりますと、多くの人々に目を留めるためには、その分だけ薄れます。多くなればなるほど、薄れるというより目を留める時間が少なくなる。
小さなグループであったときは近づいて話もできたけれど、多くなれば近づいて個人的な話もできなくなった。それが嫉妬となって、もう知花先生は前の知花先生ではないと。もうあそこに行くのも嫌だと。前のように可愛がって欲しいと、いちいち個人的な面倒も見てほしい。
それは、他力本願。愛の欲求不満でございます。
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2017年12月14日

病気と元気   A188

病気と元気についてお話させていただきましたけれど、いちばん大事なのは『気』とは何なのかということです。できるだけ正気でありますように。そのエネルギーは言葉、思い、行い、三つで消耗します。
だから、意味もないのにべちゃべちゃ意味もないような話してるときエネルギーを消耗してます。エネルギーを消耗したくないときはじっと黙っていればいい。しかし、考え事も黙らせておかねばならない。思いも言葉も体も休めておれば元気になりますよ。
あるいは言葉も出さないけれど、肉体も動かさないけれど、しょっちゅう思いの中で妬みや怒りや誹りの念を送っておりますと念力と言ってエネルギーの消耗をしているわけです。
それを身口意、三業、三つの罪と言っています。
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2017年12月12日

霊魂とは何か   B181

お経で大霊になった人は未だかって一人もいません。どうすれば、皆さん方が成仏するかと言うと、”理解力”しか必要としないんです。
必要なのは自分を、己を理解することです。
理解とは、理を解するということですから、理解というものが解放するわけですよ。
あなた方は自分を理解しないから自縛となるんですよ。
自分で自分を縛っているわけですから、その縛っている自分を自分でしか解放できないということです。
あなたは誰からか強制されて、この肉体を自分と思わされているのではなくて、自由意思でやっているのです。
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2017年12月10日

生命は普遍我 肉体は小我 何ぜ   A187

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私達人間は今、非常に有機物の多い、ゴミの多い水を飲みますのであちこち詰まるんですね。腎臓が詰まったり肝臓が詰まったり、血液や腸の中が詰まったり、これは有機物が多すぎるんです。
それは汚い、汚れているということを意味します。
今の水は出来るだけフィルターをかけて飲むべきなんですね。昔の水は良かったわけです。自然のフィルターがかかっていたわけです。何百メートル何十メートルという、色々の砂利や砂が幾層にもある所に井戸はありますね。雨が降ると自然フィルターを通してここから汲んで飲んでおりますから、ここを通っている間に汚い水でもだいたい有機物は取り除いてきれいな水を飲んでいたわけです。
すなわち、井戸水・湧き水と言えば大体そんなものなんですね。
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2017年12月09日

生命線   B182

皆さん方は、この赤ん坊の生命とお年寄りの生命とどちらが大きいかと言うと、生命には大きい小さいはないんです。なぜかと言うと、形の制限を受けてないんです。唯一不二の宇宙大の無限大の生命があるだけですから、木の葉が大きかろうが小さかろうが、大きい生命小さい生命というのはない。
赤ん坊だから体が小さいから生命も小さいだろうと。とんでもない、これは外念というものです。人間は外念でしかものを捉えませんから、小さい大きい、高い低いを感じてますけれど、この木の葉に働いている力とこの木の葉に働いている力と違うんですか?
銘々の中にみんな無限大の力が宿っているわけですから、力に大きい強いがあるはずがないんです。神は無差別で平等というのはその意味なんです。
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